サイレントノイズ・スタジアム

サッカーの歴史や人物について

《サッカー人物伝》バスティアン・シュバインシュタイガー(ドイツ)

 

「中盤の支配者」

無尽蔵のスタミナと球際の強さに加え、高度な戦術眼と優れた展開力で攻守に能力を発揮した万能型MF。持ち前の馬力と高いスキルでゲームをコントロールするプレーは、パワフルかつエレガント。時に中長距離のキックで相手ゴールを陥れた。ドイツの誇る中盤の支配者が、バスティアン・シュバインシュタイガー( Bastian Schweinsteiger )だ。

 

名門バイエルン・ミュンヘンの下部組織で育ち、18歳でプロデビュー。瞬く間にチームの主力へと成長し、数々のタイトル獲得に貢献する。12-13シーズンはドイツ勢初となるトレブル達成の立役者となり、国内年間最優秀選手賞を受賞。「世界最高のミッドフィルダー」と称賛された。

 

ドイツ代表でも中盤の司令塔として活躍。ユーロ08大会の準優勝に貢献すると、10年W杯・南アフリカ大会では欠場したバラックに代わってチームを牽引。ドイツを2大会連続のベスト3に導く。14年W杯・ブラジル大会でもベテランとして大きな役割を果たし、世界王者の栄冠に輝いた。

 

スキーで培ったサッカーの基板

シュバインシュタイガー1984年8月1日、ドイツ南部のオーストリア国境に近いバイエルン州コルベルモールで生まれた。スポーツショップを経営する父親は、オーストリアリーグでのプレー経験がある元サッカー選手。兄トビアスも後にサッカー選手となっている。

6歳で地元クラブのオーバーアウドルフに入団。山間部で育ったシュバインシュタイガーはスキー選手としての才能も見せたが、のちにアルペン競技の名選手となる幼馴染みのノイロイターにかなわず、やがてサッカーへ専念。シュバインシュタイガーがプレーの基盤とするスタミナと体幹の強さは、このスキー経験で培われたという。

そのあと隣町にある1860ローゼンハイムでの在籍を経て、14歳で名門バイエルン・ミュンヘンの下部組織に入団。シャープなドルブル突破と正確なパスワークで頭角を現し、2002年にはフィリップ・ラームとともにドイツAジュニア選手権優勝に貢献。4-0と勝利した決勝のシュツットガルト戦では、全得点に絡むプレーで注目された。

その活躍が認められ、同年11月のチャンピオンズリーグ・ランス戦で途中出場によるトップチームデビュー。左SBで起用されたシュバインシュタイガーは、正確なクロスで終盤の勝ち越し点をアシストした。

そして翌12月には18歳で正式なプロ契約を結び、7日のシュツットガルト戦でブンデスリーガデビュー。03年2月のDFBポカール準々決勝では2得点を挙げ、公式戦初ゴールを記録。そしてプロ1年目の02-03シーズンは公式戦16試合2ゴールの成績を残し、リーグ優勝とDFBポカール制覇の2冠に貢献する。

翌03-04シーズン、中盤でレギュラーの座を獲得し、公式戦32試合4ゴールの成績。20歳の若さでチームの舵取り役を任されるようになった。

 

ドイツ代表の新星

2004年5月にはアンダー代表としてU-21欧州選手権に出場するも、無念のグループリーグ敗退。だが失意を味わったその直後、ルディー・フェラー監督によりユーロ大会のメンバーとして緊急招集される。

そして6月6日に行なわれた親善試合のハンガリー戦でフル代表デビューを飾ると、その2日後のロシア戦では2ゴールを記録。20歳の若武者はさっそく期待通りの活躍を見せた。

ロシア戦の4日後、ポルトガル開催のユーロ04大会が開幕。シュバインシュタイガーは初戦のオランダ戦で後半68分からの初出場を果たすも、試合は1-1の引き分け。続くラトビア戦は後半開始から投入されるが、格下に苦戦してスコアレスドローの結果となった。

最終節の相手はチェコ。2連勝ですでにグループ突破を決めているチェコは、主力を温存。かたや敗退の瀬戸際に追い込まれたドイツは、シュバインシュタイガーを初めて先発に起用する。試合は前半21分、シュバインシュタイガーのアシストからバラックが先制ゴール。ドイツが優位に試合を進めるかに思えた。

しかし波に乗り切れないまま30分にはチェコの同点弾を許し、終盤の77分にも痛恨の失点。1-2と逆転負けしたドイツは、3位に沈んで屈辱のグループ敗退。それでもシュバインシュタイガー、ラーム、ポドルスキーら次世代の若手が輝きを見せ、2年後の自国開催W杯に期待が寄せられた。

 

自国開催のW杯

04-06シーズン、代表から戻ったばかりのシュバインシュタイガーは、開幕前のトレーニングで膝を故障。バイエルンの新監督フェリクス・マガトにリザーブチーム行きを命じられ、シーズンの出遅れを余儀なくされる。

するとシュバインシュタイガーは自身を見つめ直し、3部リーグでじっくり調整。そしてトップリーグへの復帰を果たすと、公式戦38試合4ゴールの成績で2季ぶりとなる国内2冠に貢献。バイエルンで攻守の要となったシュバインシュタイガーは、05-06、07-08、09-10シーズンの国内2冠達成に大きな役割を果たす。

代表でもレギュラーに定着し、05年のコンフェデレーションズカップでは1ゴールを挙げてドイツの3位入賞に貢献。初となる翌年の大舞台に準備を整えた。

06年6月、Wカップ・ドイツ大会が開幕。地元ドイツはグループリーグを3戦全勝と圧倒的強さで勝ち上がり、トーナメント1回戦では難敵スウェーデンを2-0と粉砕。準々決勝では強豪アルゼンチンをPK戦で下し、ベスト4に進む。

準決勝の相手はイタリア。ここまで左MFで5試合すべてに先発したシュバインシュタイガーだが、イタリア戦は戦術的理由でスターティングメンバーを外れてしまう。試合は一進一退の攻防が続き、終盤に入っても両者無得点。73分にはシュバインシュタイガーが投入されるが、イタリアの堅守を崩せず延長戦に突入する。

延長戦でも膠着状態を抜け出せず、PK戦が見えてきた119分、ピルロのスルーパスグロッソに決められ失点。ロスタイムの121分にもデル・ピエロの追加点を許し、0-2の敗戦。開催国ドイツは決勝へ進出できなかった。

ポルトガルとの3位決定戦では、シュバインシュタイガーが先発に復帰。0-0で折り返した後半の56分、シュバインシュタイガーが無回転シュートを叩き込んで先制。さらに78分、FKのチャンスでシュバインシュタイガーが蹴ったクロスが、相手DFのオウンゴールを誘って追加点が生まれる。

78分にもシュバインシュタイガーの強烈ミドルでネットを揺らし、ダメを押す3点目。彼の全得点に絡む活躍で3-1の快勝を収めた。ドイツは16年ぶりの優勝を逃すも、大会ベスト3と地元開催の面目を保った。

 

ユーロ劇場の主役

08年6月、オーストリア/スイス共催のユーロ大会が開幕。ヨアヒム・レーブ監督はクローゼとマリオ・ゴメスを2トップに起用し、予選8得点のポドルスキーを左MFに配置したため、シュバインシュタイガーは先発を外れることになった。

ポーランドとの初戦はポドルスキー2得点の活躍で2-0の快勝。シュバインシュタイガーは後半56分からの出場となった。続く第2戦はクロアチアと対戦。0-2の劣勢で進んだ後半66分、ドイツはゴメスに代えてシュバインシュタイガーを投入。79分にはポドルスキーのゴールで1点を返す。

だが反撃も実らずロスタイムを迎えると、相手のラフプレーに怒ったシュバインシュタイガーが報復行為でレッドカード。ドイツは1-2と敗れ、シュバインシュタイガーは次戦の出場停止処分を受ける。

この試合の翌日、レーブ監督は選手の気分転換を図るため、彼らの家族や恋人を宿泊先のホテルに呼ぶことを許可。だがモデルの恋人とプールサイドで無自覚にいちゃつくシュバインシュタイガーの姿は、チームメイトの神経を逆なでしてしまう。

シュバインシュタイガーの態度に激怒したキャプテンのバラックは、チームメイトやマスコミを前にして名指しの批判。そのバラックの言動に疑問を呈するも者も現れ、チームは空中分解の危機を迎えた。

それでも最終節のオーストリア戦で、1-0と勝利したドイツがグループ2位突破。するとレーブ監督は出場停止明けのシュバインシュタイガーを、準々決勝のポルトガル戦で右MFに起用する。

チャンスを与えられたシュバインシュタイガーは、名誉挽回を懸けての奮闘。前半22分、ポドルスキーのクロスに飛び込んだシュバインシュタイガーが先制点。さらにその4分後、シュバインシュタイガーのFKからクローゼの追加点が生まれる。そして後半61分、シュバインシュタイガー再びのFKに合わせたバラックが3点目を決めた。

シュバインシュタイガーの「マン・オブ・ザ・マッチ」に輝く活躍で、ドイツが3-2の勝利。準決勝では快進撃を続けるトルコと戦う。1点をリードされた前半26分、ポドルスキーのパスからシュバインシュタイガーが同点弾。このあと両チーム1点ずつを加えて終盤戦を迎え、延長も見えてきた後半90分、右サイドを駆け上がったラームが劇的決勝点。3-2と激戦を制し、決勝に勝ち上がる。

しかし決勝ではスペインのパスサッカーに圧倒され、何もできずに0-1の敗戦。ドイツ3大会ぶりの優勝はならなかった。だが浮き沈みを乗り越えたユーロ大会の経験は、シュバインシュタイガーにとって大きな自信となった。

 

ドイツの司令塔

10年6月、Wカップ南アフリカ大会が開幕。直前の怪我でメンバーを外れたバラックに代わり、シュバインシュタイガーがチームの司令塔を務めた。

初戦のオーストラリア戦は、エジルミュラーケディラノイアーら若手の活躍で4-0の圧勝。続く第2戦はクローゼの退場が響いてセルビアに0-1と敗れるが、最終節の試合でガーナを1-0と破り、グループ首位で決勝トーナメントに進む。

トーナメントの1回戦は、相手ゴールが誤審により無効になるというツキもあり、難敵イングランドに4-1の勝利。準々決勝でアルゼンチンと対戦する。試合は開始3分、シュバインシュタイガーのFKからミュラーが先制点。後半68分にクローゼのゴールでリードを拡げると、74分にはシュバインシュタイガーの折り返しからフリードリヒが追加点。

終了直前にはクローゼがダメを押し、強敵相手に4-0の快勝。2得点に絡むだけでなく、相手反撃の芽を摘み取ったシュバインシュタイガーは、「マン・オブ・ザ・マッチ」に選ばれる。

だが準決勝ではユーロ王者スペインの軍門に降り、またも優勝へ届かなかった。3位決定戦ではウルグアイと対戦。前半19分、シュバインシュタイガーのロングシュートがGKに弾かれたところを、ミュラーが詰めて先制。そのあと点の取り合いで2-2の同点となるが、終盤の82分にケディラが決勝点を挙げる。

ドイツは2大会連続のベスト3を確保。中盤を統率すると共に若手をリードしたシュバインシュタイガーは、ファン投票によるW杯ベストイレブンに選出。「キッカー誌」が選ぶドイツ最優秀選手にも輝く。

 

バイエルンの大黒柱

11-12シーズン、バイエルンは2年ぶりとなるチャンピオンズリーグ決勝に進出。ファイナルの相手はイングランドの強豪チェルシー。その舞台となったのは、バイエルンの本拠地であるアリアンツ・アレーナだった。

白熱の攻防戦が続いた終盤の83分、ミュラーのヘディングゴールで先制。ホームの大声援を受けたバイエルンが優勝を決めたかに思えた。だが終了直前の88分、相手CKからドログバにゴールネットを揺らされ、土壇場で同点。試合は延長120分を終わっても決着がつかず、PK戦にもつれ込む。

先攻のバイエルンは3人目までが成功。対するチェルシーは1人目のマタが外し、ホームチームが優位に立つ。しかしバイエルンは4人目のオリッチが失敗し、5人目シュバインシュタイガーのキックも右ポストに弾かれ万事休す。4人目、5人目を成功させたチェルシーに優勝を奪われてしまった。

その雪辱の機会は、早くも翌年に訪れる。12-13シーズンのリーグ戦とDFBポカールを制したバイエルンは、CLでも前大会に続く決勝へ進出。同国のライバルであるドルトムント賜杯を争った。試合は1-1の同点で迎えた終了間際の89分、リベリーのバックパスからロッベンが決勝点を挙げる。

バイエルンは12年ぶり5度目のビッグイアーを獲得するとともに、ドイツ勢初となるトレブルの快挙を達成。バイエルンの大黒柱としてチームの攻守を支え、公式戦45試合9ゴールの活躍でトレブル達成の立役者となったシュバインシュタイガーは、ドイツ年間最優秀選手賞に選出。ユップ・ハインケス監督からは「世界最高のMF」と称賛された。

 

悲願のW杯優勝

ユーロ2012大会(ポーランド/ウクライナ共催)はベスト4に終わり、またも栄冠を逃したドイツは、万全の体勢を整えて2年後のワールドカップに臨む。

14年6月、Wカップ・ブラジル大会が開幕。若手の台頭でシュバインシュタイガーはベンチスタートとなったが、G/L最終節のアメリカ戦で今大会初先発。1-0の勝利に貢献し、ドイツはグループ1位で決勝トーナメントに進む。

ベテランらしい安定感を見せたシュバインシュタイガーは、右インサイドハーフの座を奪い、これ以降先発に定着。トーナメント1回戦は苦戦しながらもアルジェリアを2-1と下すと、準々決勝では強国復活を目指すフランスを1-0と撃破する。

開催国ブラジルとの対決となった準決勝は、まさかの一方的展開。ドイツは地元優勝を狙うセレソンを相手に、「ミネイロンの惨劇」と呼ばれる7-1の歴史的大勝。ついに3大会ぶりとなる決勝へ駒を進めた。

決勝の相手は、メッシ率いるアルゼンチン。シュバインシュタイガーはここ数年で最高のパフォーマンスを発揮し、顔に裂傷を負いながらも奮闘。中盤を支配して延長120分を戦いきり、1-0の勝利に大きく貢献。ドイツに14年ぶり4度目となる優勝をもたらした。

W杯終了後、バイエルンの盟友であるラームが代表を引退。シュバインシュタイガーは彼からキャプテンマークを引き継ぎ、2年後のユーロ大会に臨む。

だが大会直前に負った怪我の影響で、ユーロ2016の出場は6戦で先発1試合、途中出場4試合に留まった。チームも準決勝で開催国フランスに敗れて、2大会連続のベスト4敗退。シュバインシュタイガーはユーロ大会18試合出場というドイツ記録を残し、同年7月に代表からの引退を発表する。13年間の代表歴で121試合に出場、24ゴールを挙げている。

 

バイエルン・ミュンヘン退団後

14-15シーズン終了後、自身8度目となるブンデスリーガ優勝を置き土産に、ユース時代から17年を過ごしたバイエルン・ミュンヘンを退団。15-16シーズンはプレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドに活躍の場を移す。

ユナイテッドでの前半シーズンは18試合1ゴールとまずまずの結果を残すが、年明けのFAカップ3回戦で膝を負傷。残りシーズンの欠場を余儀なくされる。

翌16-17シーズン、ジョゼ・モウリーニョがユナイテッドの監督に就任。新監督に冷遇されたシュバインシュタイガーは出場機会を失い、カップ戦の4試合に起用されたのみ。17年3月にはMLSシカゴ・ファイアーと新たな契約を交わす。

シカゴ・ファイアーでは3シーズンを過ごし、19年10月に35歳で現役を引退。現在はドイツテレビ局のスポーツ番組でサッカー解説者を務めている。