サイレントノイズ・スタジアム

サッカーの歴史や人物について

《サッカー人物伝》ジェンナーロ・ガットゥーゾ(イタリア)

 

「グラウンドに吠える闘犬

 

無尽蔵のスタミナと容赦ないハードタックルを武器とし、ピンチの芽を潰しにかかった守備的MF。高いテクニックがあったわけではないが、献身的なハードワークで攻守に存在感を発揮した。闘争心を剥き出しにして誰彼なく吠えかかる姿から「闘犬」と呼ばれたのが、ジェンナーロ・ガットゥーゾ( Gennaro Ivan Gattuso )だ。

 

若手時代にイタリアからスコットランドへ渡り、名門グラスゴー・レンジャーズの「汗かき役」として活躍。その後移籍したACミランでは、代表ユース時代からの親友であるアンドレア・ピルロと中盤で強力なパートナーシップを築き、2000年代半ばのクラブ黄金期を支えて世界最高の守備的MFと謳われた。

 

イタリア代表では3度のW杯と2度のユーロ大会に出場。02年日韓W杯では途中交代による2試合の出場にとどまったが、06年ドイツW杯では盟友ピルロとともにチームの中核を担い、イタリア24年ぶり4度目となる優勝に大きく貢献した。

この続きを読むには
購入して全文を読む

《サッカー人物伝》ダビド・トレゼゲ(フランス)

 

ダビデ王の標的」

左右両足で正確に標的を捉えるシュートスキルを持ち、ペナルティーエリア内を主戦場とした生粋のゴールハンター。190㎝の長身を活かしたパワースタイルを持ち味とし、得意のヘディングでは無類の強さを発揮。世界屈指のストライカーとして「レ・ダビド(ダビデ王)」の異名を取ったのが、ダビド・トレゼゲ( David Sergio Trézéguet )だ。

 

アルゼンチンのCAプラセンテでキャリアを始め、出生地のフランスに渡ってASモナコで活躍。ゴールを量産してリーグ・アン優勝に貢献する。2000年にはイタリアの名門ユベントスに移籍。01-02シーズンは24ゴールを挙げて初のリーグ得点王に輝き、チームのスクデット獲得に大きな役割を果たした。

 

20歳でフランス代表デビューを飾ると、その半年後には地元開催の98年W杯に出場。レ・ブルーの新星としてティエリ・アンリとともにエースストライカー不在の穴を埋め、母国の初優勝に寄与した。ユーロ2000では、決勝のイタリア戦で殊勲のゴールデンゴール。しかし02年日韓W杯、ユーロ04では輝きを放つことが出来なかった。

この続きを読むには
購入して全文を読む

《サッカー人物伝》イケル・カシージャス(スペイン)

 

「サン・イケルの神業」

超人的な反射神経と俊敏な動きで、数々のビッグセーブを生み出してきたスペインの絶対的守護神。驚異の瞬発力で至近距離のシュートを止め、ダイナミックな飛び出して1対1の場面を制圧。キーパーとしては185㎝と小柄だが、神業のようなプレーで「サン・イケル(聖イケル)」と呼ばれたのが、イケル・カシージャス( Iker Casillas Fernández )だ。

 

レアル・マドリードの下部組織で育ち、18歳でトップチームデビュー。長きにわたって名門クラブの守護神を務め、リーグ優勝5回、コパ・デル・レイ優勝2回、欧州チャンピオンズリーグ優勝3回、FIFAクラブW杯制覇と、数々のタイトル獲得に大きく貢献。サモラ賞や欧州最優秀GK賞など、いくつもの個人タイトルにも輝いた。

 

スペイン代表としては、4度のW杯と5度のユーロ大会に出場。若くして正GKに抜擢された02年W杯・日韓大会でビッグセーブを連発し、その名を世界に轟かせた。そのあと代表キャプテンの重責を担い、ユーロ08、10年W杯、ユーロ12と、メジャー大会3連覇の偉業に大きな役割を果す。

この続きを読むには
購入して全文を読む

《サッカー人物伝》クラウディオ・ロペス(アルゼンチン)

 

「風を切り裂くアタッカー」

風を切り裂く速さでピッチを駆け上がり、精度の高いクロスと豪快な左足シュートで勝利を呼び込んだ。ストライカー、セカンドトップ、ウィングと幅広くこなせる攻撃スタイルを持ち、ポジショニングの上手さと抜け目ない動きでゴールを奪った。その活躍で欧州リーグに名を刻んだ快速アタッカーが、クラウディオ・ロペス( Claudio Javier López )だ。

 

母国でのプレーを経て、96年にスペインのバレンシアFCと契約。98-99シーズンには公式戦33ゴールの活躍でコパ・デル・レイ優勝に貢献する。99-00シーズンはチャンピオンズリーグで躍進、6ゴールを挙げてチームを初の決勝に導いた。2000年夏にはイタリアのラツィオへ移籍。コッパ・イタリア優勝のタイトルを得る。

 

アルゼンチン代表でも活躍。96年にはアトランタ五輪代表に選ばれ、クレスポオルテガサネッティらとともにチームの中心選手となって銀メダル獲得に貢献。98年にはフランスW杯に出場、全5試合に出場してベスト8進出に寄与している。02年日韓W杯のメンバーにも選ばれるが、優勝候補と見なされていたアルゼンチンはあえなくG/L敗退となった。

この続きを読むには
購入して全文を読む

米俳優 ルイス・ゴゼット・ジュニアさん死去

 

黒人初のアカデミー賞助演男優賞受賞者

黒人として初めてアカデミー賞助演男優賞に輝いた米俳優のルイス・ゴゼット・ジュニアさんが、29日の朝、カルフォルニア州サンタモニカのリハビリ施設で亡くなったことが家族から公表された。享年87歳、死因は明らかにされていない。

ルイスさんは1936年、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。16歳のときに学校演劇『我が家の楽園』で舞台デビューを果たす。

地元のエイブラハム・リンカーン高校を卒業後、スポーツ奨学金ニューヨーク大学へ進学。193㎝の長身を活かし、バスケットボールのスター選手として活躍した。大学卒業後の58年にはNBAのニックスと契約を交わすが、短期間の在籍のあと、本格的な俳優の道に進む。

61年、シドニー・ポワチエ主演の『黒い一粒のプライド』で映画デビュー。77年にはテレビシリーズ『ルーツ』のメインキャストを務める。黒人奴隷の問題を扱った『ルーツ』は大きな評判を呼び、エミー賞を受賞。ドラマは日本でも放送され、高視聴率を稼いで話題を集めた。

82年にはヒット映画『愛と青春の旅立ち』に出演。海軍士官学校の鬼教官役を熱演し、黒人として初めてアカデミー賞の主演男優賞を受賞。黒人俳優のオスカー受賞者としては、ハッティ・マクダニエル(40年、『風と共に去りぬ』の助演女優賞)、シドニー・ポワチエ(64年、『野のユリ』の主演男優賞)に続く3人目だった。

その後も多くの作品で活躍。24年公開予定の『ブルー きみは大丈夫』が遺作となる。『愛と青春の旅立ち』で共演したリチャード・ギアからは、「真剣に仕事に取り組み、役作りに没頭していた。24時間、教官になりきっていた」と哀悼の言葉が寄せられている。

銀幕を飾った名花 リリアン・ギッシュ

 

サイレント映画の伝説的女優

映画黎明期を飾った伝説の女優、リリアン・ギッシュ。「映画の父」と称されるD・W・グリフィス監督に見いだされ、『国民の創世』『イントレランス』『散りゆく花』『東への道』などサイレント映画の大作・話題作に出演した。

 

友人でもあるメアリー・ピックフォードが明朗快活な無邪気さで人々を魅了したのに対し、リリアンは可憐な純情さで薄幸な女性を演じて世界の観客を涙させた。「アメリカの恋人」と親しまれたメアリーとは当時の人気を二分し、「アメリカ映画のファーストレディー」と呼ばれる。

 

トーキー時代の訪れとともに舞台に活躍の場を移すが、46年に出演した『白昼の決闘』でアカデミー助演女優賞にノミネート。60年には『許されざる者』でオードリー・ヘップバーンの母親役を演じた。その芸歴は75年に及び、93歳の時に『八月の鯨』(87年)に主演。高齢を感じさせない凜とした佇まいで、世間の話題を集めた。

この続きを読むには
購入して全文を読む

《サッカー人物伝》フィリップ・ラーム(ドイツ)

 

バイエルンの小さな鉄人」

170㎝と小柄ながらスピード、テクニック、スタミナに優れ、正確なタックルで鮮やかにボールを奪った。秀でたインテリジェンスで好守の要となり、機を見たオーバーラップで攻撃参加。高い精度のクロスでチャンスをつくった。ピッチの左右をこなせる万能型として世界屈指のサイドバックと呼ばれたのが、フィリプ・ラーム( Philipp Lahm )だ。

 

名門バイエルン・ミュンヘンの生え抜きとして長く活躍。卓越したリーダシップで2011年からはキャプテンの重責を担い、バイエルンの黄金期を支えた。また1シーズンをフルタイムで戦う鉄人ぶりでも知られ、そのタフさから「マジック・ドワーフ(魔法の小人)」と呼ばれた。

 

ドイツ代表でもチームの主軸として活躍。自国開催となった06年W杯では、初戦のコスタリカ戦で鮮やかなミドルシュートを叩き込み、一躍その名を世界に知らしめた。10年W杯では急遽キャプテンを務めながらドイツをベスト4に導き、14年W杯では不動のリーダーとしてチームを牽引。4度目となる優勝に貢献した。

この続きを読むには
購入して全文を読む