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サッカーの歴史や人物について

《サッカー人物伝》ジェルジ・シャーロシ(ハンガリー)

 

ハンガリーの英雄」

積極果敢なドリブルとエレガントな身のこなしで観客を魅了し、高い得点力でゴールを量産した1930年代の名選手。攻撃から守備までこなしながらリーダーシップを発揮し、チームに多くの栄冠をもたらした。その威名を欧州に轟かせ、「ハンガリーの英雄」と呼ばれたのが、ジェルジ・シャーロシ( György Sárosi )だ。

 

ハンガリーの名門フェレンツヴァロッシュTCで選手のキャリアを貫き、チームの大黒柱として5度のリーグ優勝と4度の国内カップ制覇に大きく貢献。37年には国際大会ミトローパ・カップ優勝の立役者となり、クラブに不滅の伝説を残した。

 

ハンガリー代表には18歳で初選出。37年の中央ヨーロッパカップでは、強豪チェコスロバキアを相手に1人7得点を叩き出すという離れ業を演じ、世界を驚嘆させた。38年フランスW杯では代表キャプテンとしてチームを率い、5得点を挙げハンガリーを大会準優勝に導く。

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アラン・ドロンさん死去

 

映画界を代表する二枚目俳優

太陽がいっぱい』『山猫』『冒険者たち』などの作品で知られ、映画界を代表する二枚目として60~70年代に大人気を博したフランスの俳優、アラン・ドロンさんが仏中部にあるロワレ県ドゥシーの自宅で、18日に亡くなったことが欧州のメディアから伝えられた。

詳しい死因は公表されていないが、2019年には脳出血による手術を受け、長く療養生活を送っていたという。没年88歳。

最期を看とった親族からは「3人の孫、家族に囲まれて安らかに亡くなった」との声明が寄せられている。

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米女優 ジーナ・ローランズさん死去

 

夫カサヴェテスとの名コンビ

映画『こわれゆく女』『グロリア』などの作品で知られるアメリカ女優のジーナ・ローランズさんが、14日にカルフォルニアの自宅で亡くなったことが米メディアから伝えられた。

今年6月には家族からアルツハイマー病を患っていることが公表されており、その合併症が死因となった。没年94歳。

ジーナさんは1930年生まれのウィスコンシン州マディソン郡出身。銀行家で州議会議員の父と、女優だった母のもとで兄のデヴィッドと共に育つ。

その後一家は、父の仕事に伴いワシントンDCやウィスコンシン州ミネソタポリスなどで生活。ジーナは47年から50年までウィスコンシン大学に通っていたが、すでにその頃から彼女の美貌は際立っていたという。

卒業後はニューヨークに向かい、演劇学校で演技を履修。ここで生涯のパートナーとなるジョン・カサヴェテスに出会い、二人は54年に結婚する。

50年代初頭は舞台やテレビドラマで俳優活動を行ない、58年の『The High Cost of Loving』で映画デビュー。59年には夫カサヴェテスの初監督作となる『アメリカの影』に端役出演する。

このあと夫婦はいくつもの作品でコンビを組み、74年の『こわれゆく女』ではアカデミー賞の監督賞と主演女優賞にノミネート。残念ながらオスカーを逃すも、ジーナはゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞した。77年には同じくカサヴェテスが監督を務めた『オープニング・ナイト』でベルリン国際映画祭銀熊賞・主演女優賞に輝く。

80年の『グロリア』ではマフィアに立ち向かう女性を熱演。ジーナは2度目となるアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、この映画は夫婦の代表作となった。

89年に夫カサヴェテスと死別。その後もジーナは俳優活動を続け、2004年には長男ニックが監督を務める『きみに読む物語』に出演。アルツハイマーで記憶をなくしたヒロインの晩年を演じた。

07年には次男のゾエが監督を務める『ブロークン・イングリッシュ』に出演し、15年にはアカデミー賞の名誉賞を受賞。同年の『Six Dance Lessons in Six Weeks』を最後に俳優業を引退することが発表されていた。

 

《サッカー人物伝》フランク・ランパード(イングランド)

 

「異能のミッドフィルダー

恵まれた体格と豊富な運動量で守備を支え、狙い澄ましたロングパスでチャンスを創出。さらに左右の足から強烈なシュートを放ち、多くの得点を生み出したハイブリッド型MF。そのオールラウンドな能力でパーフェクトな選手と評されたのが、フランク・ランパード( Frank James Lampard Jr. )だ。

 

ウェストハムで頭角を現すと、01年には同じロンドンのチェルシーへ移籍。石油王アブラモビッチのもとでビッグクラブ化を進めるチームの中心選手となり、04-05シーズンのプレミアリーグ初制覇に大きく貢献。FWA年間最優秀選手賞に輝き、モウリーニョ監督から「世界最高の選手」と称賛された。

 

イングランド代表では3度のW杯と2度のユーロ大会に出場。06年ドイツW杯では、ベッカム、ジェラード、ジョー・コールと豪華な中盤を組んでベスト8進出。10年W杯南ア大会のドイツ戦では、ランパードのゴールが誤審で認められないという不運に見舞われ、惜しくもベスト16敗退となった。

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《サッカー人物伝》アンドレア・ピルロ(イタリア)

 

「伝説のレジスタ

高度な戦術眼と確かな技術でゲームを組み立て、中盤底から長短のパスを駆使して勝利の方程式を導き出した伝説のレジスタフリーキックの名手としてもその名を轟かせ、急激に落下する軌道のシュートは恐れられた。その技で「マエストロ」と呼ばれた世界最高のプレーメーカーが、アンドレア・ピルロ( Andrea Pirlo )だ。

 

しばらく雌伏の時を経て、ACミランレジスタとしての才能を開花。盟友ガットゥーゾ、万能MFセードルフと「黄金の中盤トリオ」を組み、”ピルロ・システム” を確立してクラブに数々のタイトルをもたらした。2011年に移籍したユベントスでも、セリエA連覇を続けるチームで大きな役割を果たす。

 

イタリア代表では3回のW杯と2回のユーロ大会に出場。06年W杯・ドイツ大会では不動の司令塔として攻撃を牽引し、「マン・オブ・ザ・マッチ」3試合に輝く活躍でチームを5大会ぶり4度目の優勝に導く。連覇の懸かった10年W杯・南アフリカ大会では怪我に泣かされ、前回王者のG/L敗退という屈辱を味わった。

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《サッカー人物伝》セスク・ファブレガス(スペイン)

 

「プレミアで輝く稀代のパサー」

 

両足から長短多彩なキックを繰り出し、一瞬にしてビッグチャンスを生み出した稀代のパサー。加えて縦への推進力も持ち合わせ、危険なエリアに顔を出して得点を狙った。明確なビジョンと高いスキルでゲームを構築し、「エル・アルキテクト(建築家)」と呼ばれたのが、セスク・ファブレガス( Francesc Fàbregas Soler )だ。

 

バルセロナの下部組織で育ちながら、イングランドアーセナルでトップチームデビュー。若くしてガナーズの主力を務め、多くのアシストを記録するなど活躍。里帰りしたバルセロナでは本領発揮といかなかったが、14年に移籍したチェルシーで輝きを取り戻し、プレミアリーグ優勝に貢献する。

 

選手層の厚いスペイン代表での出番は限られたが、ユーロ08大会ではシャビ、イニエスタダビド・シルバと共に「クワトロ・フゴーネス(4人の創造者)」と呼ばれる中盤を形成。同国44年ぶりの欧州制覇に貢献した。10年W杯・南ア大会の決勝オランダ戦では、イニエスタの勝利弾をアシスト。スペインに初となる世界王者のタイトルをもたらした。

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《サッカー人物伝》エデン・アザール(ベルギー)

 

「天才ドリブラーの栄光と凋落」

細かいタッチと一瞬の加速力で、密集地帯を切り裂いたドリブラー。スピードに乗りながらも抜群のボディバランスと低い重心でボールをコントロールし、易々と相手エリアに侵入。高い得点力も備えてゴールネットを揺らした。卓越した技でベルギーの「天才」と呼ばれたのが、エデン・アザール( Eden Michael Walter Hazard )だ。

 

若くして才能を見いだされ、16歳でフランスのリールに入団。2季連続でリーグ・アンの年間最優秀選手賞に輝くなど活躍し、12年にはプレミアの強豪チェルシーに移籍する。ここでもすぐに主力の座を射止め、リーグ優勝やFAカップ制覇などのタイトル獲得に貢献。19年には名門レアル・マドリードの一員となるが、相次ぐ故障で本領を発揮できなかった。

 

ベルギー代表には17歳で選出。デ・ブライネ、ルカククルトワら「ベルギー黄金世代」の中心選手として世界に名を轟かせ、18年W杯・ロシア大会の3位入賞に大きく貢献。だが4年後のカタールW杯ではプレーの精彩を欠き、優勝を期待されたチームは失意のグループリーグ敗退。アザールは31歳の若さで代表を退いた。

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ドナルド・ササーランドさん死去

 

カナダ出身の個性派俳優

ハンガー・ゲーム』シリーズの脇役などで知られるカナダ出身の個性派俳優、ドナルド・ササーランドさんが20日フロリダ州マイアミで死去したことが、息子で俳優であるキーファーさんのSNSにより公表された。

死因は公表されていないが、晩年は長期の闘病生活を送っていたという。88歳没。

息子キーファーさんは、自身の幼い頃の親子写真をXに投稿。「父は映画史上最も重要な俳優の一人だったと思います。演じる役が善人でも悪人でも醜くても、決してひるむことはなかった」と故人を追悼している。

 

生涯現役

ドナルド・サザーランドさんは1935年、カナダ東部ニューブランズウィック州のセントジョン生まれ。トロント大学ビクトリアカレッジで工学を履修しながら、トロントのコメディ劇団「UCフォーリーズ」で活動。卒業後はイギリスに渡り、ロンドン演劇アカデミーで学ぶ。

そのあとイギリスのテレビドラマや映画で俳優としてのキャリアを積み、67年にはスパイもののTVシリーズアベンジャーズ』に出演。この作品で注目されたサザーランドさんは、英米合作の戦争アクション『特攻大作戦』(ロバート・アルドリッチ監督)に起用された。

リー・マービンロバート・ライアンチャールズ・ブロンソンアーネスト・ボーグナインと有名スターを揃えた『特攻大作戦』でも独特の存在感を放ち、俳優としてブレイク。このあとハリウッドに渡ってキャリアのステップアップを図る。

70年にはブラックコメディ『M★A★S★H マッシュ』(ロバート・アルトマン監督)に主演。朝鮮戦争野戦病院に赴任した破天荒な軍医ホークアイ役を好演し、世界の注目を浴びた。

以降、『JFK』(91年、オリバー・ストーン監督)、『バックドラフト』(91年、ロン・ハワード監督)、『スペース カウボーイ』(2000年、クリント・イーストウッド監督)など数多くの話題作に出演。名脇役として輝きを放った。

2011年にハリウッドのウォーク・オブ・フェームに名を刻んだ際、「俳優にとって引退は死だ。私の仕事は死ぬまで続く」と生涯現役を宣言。60年以上のキャリアで200本近い作品に出演した。米アカデミー賞にノミネートされることはなかったが、17年にはアカデミー名誉賞を贈られている。

 

仏女優 アヌーク・エーメさん死去

 

フランスを代表する女優

甘い生活『男と女』などの映画で知られたフランス女優のアヌーク・エーメさんが、18日にパリの自宅で亡くなったことが伝えられた。92歳没。

50~60年代にフランスを代表する女優として活躍。その美貌とアンニュイな雰囲気、ファム・ファタールな魅力で世界的人気を博した。

俳優である娘のマヌエラ・パパタキスさんは、自身のSNSで「母アヌーク・エーメの旅立ちをお知らせすることに大きな悲しみを感じています。母がパリの自宅で今朝亡くなったとき、私はすぐそばで見守っていました」とコメントを発表している。

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《サッカー人物伝》バスティアン・シュバインシュタイガー(ドイツ)

 

「中盤の支配者」

無尽蔵のスタミナと球際の強さに加え、高度な戦術眼と優れた展開力で攻守に能力を発揮した万能型MF。持ち前の馬力と高いスキルでゲームをコントロールするプレーは、パワフルかつエレガント。時に中長距離のキックで相手ゴールを陥れた。ドイツの誇る中盤の支配者が、バスティアン・シュバインシュタイガー( Bastian Schweinsteiger )だ。

 

名門バイエルン・ミュンヘンの下部組織で育ち、18歳でプロデビュー。瞬く間にチームの主力へと成長し、数々のタイトル獲得に貢献する。12-13シーズンはドイツ勢初となるトレブル達成の立役者となり、国内年間最優秀選手賞を受賞。「世界最高のミッドフィルダー」と称賛された。

 

ドイツ代表でも中盤の司令塔として活躍。ユーロ08大会の準優勝に貢献すると、10年W杯・南アフリカ大会では欠場したバラックに代わってチームを牽引。ドイツを2大会連続のベスト3に導く。14年W杯・ブラジル大会でもベテランとして大きな役割を果たし、世界王者の栄冠に輝いた。

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