日本女子サッカー史
Wカップで世界一となったなでしこジャパンは、翌年のロンドン五輪の決勝で再びアメリカとまみえ、惜しくも銀メダルに終わる。15年Wカップの決勝も三たびアメリカと戦うが、研究されて惨敗を喫してしまった。このあと澤が現役を引退、なでしこの一時代が終わ…
東日本大震災の試練を乗り越え、日本は女子ワールドカップ・ドイツ大会に出場。決勝トーナメントの1回戦では、丸山の殊勲弾で開催国ドイツを撃破、なでしこは決勝へ進んだ。決勝はアメリカにリードされるも、澤が起死回生の同点弾、PK戦を制して栄冠を手にす…
アテネ五輪出場を決めた日本女子代表に「なでしこ」の愛称がつけられた。その後も国際大会の経験を重ね、なでしこは徐々にその実力を伸ばしていく。ドイツWカップの出場を控え、佐々木監督のもと順調に強化が進むなでしこジャパン、そこへ最大の試練が訪れる…
澤穂希の渡米 99年、運営が読売から日テレに変わったベレーザによりプロ契約の取り消しを告げられ、澤穂希はアメリカ行きを決意する。と言っても、行き先が決まっている訳ではなく、アメリカで女子プロリーグが創設されるという話を耳にしたに過ぎなかった。…
東京五輪後日本にサッカーブームが起き、女子にサッカーチームが誕生する。そして徐々に本格的な競技として発展し、全国リーグも発足、世界大会にも参加を果たした。だが代表チームは世界の舞台で芳しい結果を残せず、一時隆盛を見せたLリーグも消滅の危機を…