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サッカーの歴史や人物について

【 サッカー史 】

ワールドカップの歴史 第21回ロシア大会-後編(2018年)

第21回ワールドカップ・ロシア大会の決勝は、2度目の優勝を狙うフランスと初優勝を目指すクロアチアの戦い。フランスリードで折り返した後半、"レ・ブルーの若き怪物"がきょう的な快足を活かして爆発。最後はクロアチアを4-2と突き放し、優勝に導いた。

ワールドカップの歴史 第21回ロシア大会-前編(2018年)

10年12月にFIFA本部で行なわれた理事会投票で、18年ワールドカップの開催地はロシアに決定。そのW杯予選でイタリア、オランダ、アメリカ、チリといった有力国が敗退。アイスランドとパナマが大会初出場となった。新導入のVARが威力を発揮した。

ワールドカップの歴史 第20回ブラジル大会-後編(2014年)

準々決勝で、ブラジルとドイツがWカップ2度目の対戦。試合はドイツが大量得点を叩き出すという予想外の展開、地元ブラジルは「ミネイロンの惨劇」に沈んでいった。アルゼンチンはメッシを中心とした戦術で決勝に勝ち上がったが、ドイツ堅守の前に敗れ去る。

ワールドカップの歴史 第20回ブラジル大会-前編(2014年)

大波乱となったブラジルWカップ予選リーグ。前回王者のスペインがオランダに完敗、早くも大会を去って行った。「死のグループ」となったD組は伏兵コスタリカが大金星。イタリア、イングランドの強豪を予選敗退に追い込む。スアレスの「噛みつき事件」も発生。

ワールドカップの歴史 第19回南アフリカ大会-後編(2010年)

ガーナ戦で絶体絶命の状況に追い込まれたウルグアイだが、スアレスが臆面も無いハンドでゴールを阻止、物議を醸した。マラドーナとメッシのアルゼンチンはベスト8止まりとなり、決勝初優勝を狙うスペインとオランダの争いとなった。そして白熱の勝負は延長へ…

ワールドカップの歴史 第19回南アフリカ大会-前編(2010年)

初のアフリカ開催となった、南アフリカWカップ。変人ドメネクが監督を努めるフランスは内紛が勃発、リーダー不在のチームは空中分解し、不名誉な予選敗退となった。前回王者のイタリアもチーム力の衰えは隠せず、予選最下位で大会を去るという不覚を演じる。

ワールドカップの歴史 第18回ドイツ大会-後編(2006年)

強豪国が順当に勝ち上がり、決勝ートーナメントは好勝負が続いた。そしてイタリアが堅実な戦いで勝ち上がり、ジダンを中心に結束したフランスも復調。両チームは決勝へ進んだ。試合は互角の戦いとなり延長戦に突入、だが挑発に乗ったジダンが頭突で退場とな…

ワールドカップの歴史 第18回ドイツ大会-前編(2006年)

世代交代の大会となったドイツWカップ。クリロナ、メッシ、ルーニー、ロッペン、リベリー、トーレスといった次世代のスターが輝きを見せた。地元ドイツは好発進、「カルチョポリ」騒動で揺れたイタリアも優勝を狙う中、ジダンが復帰したフランスも復権を伺う…

ワールドカップの歴史 第17回日韓大会-後編(2002年)

疑惑の判定がありながら、韓国はイタリア、スペインといった強豪を撃破。伏兵トルコ、セネガルも躍進を見せた。決勝は「3R」の攻撃力が爆発したブラジルと、主将カーンの統率力で勝ち上がったドイツの戦い。横浜競技場で、大会初となる両雄対決が行われた。

ワールドカップの歴史 第17回日韓大会-前編(2002年)

予選リーグでイングランドとアルゼンチンが因縁の対決。ベッカムが4年前の雪辱を果たすPKを決め、優勝候補のアルゼンチンは予選敗退となる。ジダンが負傷欠場となった前大会王者のフランスも、初戦の敗北から立ち直れずに敗退を喫し、波乱の大会となった。

ワールドカップの歴史 第16回フランス大会-後編(1998年)

因縁のアルゼンチン対イングランド戦など、激戦が続いた大会は開催国フランスとブラジルの決勝へ。だが試合を直前に控え、ブラジルエースのロナウドに異変が。集中力を欠く相手にジダンの頭による2発が炸裂、ついにフランスが地元で念願の初優勝を成し遂げる…

ワールドカップの歴史 第16回フランス大会-前編(1998年)

20世紀最後の大会には、ロナウド、ジダン、アンリ、ベッカム、オーウェン、ベロン、デル・ピエロ、ラウル、クライファートと新世代のスターが続々と登場、予選リーグで熱い戦いを繰り広げた。一方でR・バッジオ、マテウスらのベテラン勢も健在ぶりをを見せる…

ワールドカップの歴史 第15回アメリカ大会-後編(1994年)

白熱した決勝トーナメントはブルガリアとルーマニアの東欧勢が活躍。前回決勝を争った西ドイツとアルゼンチンは早々と大会を去って行った。苦戦するイタリアをエースのバッジオが牽引、ブラジルとの決勝へ臨む。優勝の行方は、決勝初のPK戦に持ち込まれた。

ワールドカップの歴史 第15回アメリカ大会-前編(1994年)

「サッカー不毛の地」アメリカで開催された第15回Wカップ大会。地元チームの健闘で大会は盛り上がりを見せるが、オウンゴールを犯したコロンビアの選手が射殺されてしまうという悲劇も起きる。イタリアは主将のバレージを負傷で欠くなど、窮地に陥っていた。

ワールドカップの歴史 第14回イタリア大会-後編(1990年)

決勝Tはカメルーンが大健闘。ミラントリオを擁した優勝候補オランダは、1回戦で敗れ去っていった。注目の南米決戦を制止、地元イタリアとの戦いも勝利、マラドーナは2大会連続となる決勝の舞台に立った。だが決勝で西ドイツのリベンジに遭い、涙に暮れる。

ワールドカップの歴史 第14回イタリア大会-前編(1990年)

開幕戦では前大会王者のアルゼンチンがカメルーンに敗れるという大波乱。開催国イタリアには新星バッジオとスキラッチが登場、ユーゴのストイコビッチ、コロンビアのバルデラマ、イングランドのガスコインらの新スターも存在感を見せ、いよいよ大会は後半戦…

ワールドカップの歴史 第13回メキシコ大会-後編(1986年)

因縁のアルゼンチン対イングランド戦は、物議を醸した「神の手ゴール」と「伝説の5人抜きドリブル」でマラドーナの一人舞台となった。プラティニとジーコの対決も注目されたが、決勝に勝ち残ったのは西ドイツだった。だが結局「マラドーナの大会」で幕を閉じ…

ワールドカップの歴史 第13回メキシコ大会-前編(1986年)

メキシコで2度目のW杯が開催。アルゼンチンが好発進を切る一方、デンマークが「ダニッシュダイナマイト」旋風で大会を席巻。ロバソ連もスピード溢れる「トータルサッカー」で世界を驚かし、フランス、西ドイツ、ブラジルの強豪も虎視眈々と優勝を狙っていた。

ワールドカップの歴史 第12回スペイン大会-後編(1982年)

1次リーグは得点力不足に苦しんだイタリアだが、2次リーグでパオロ・ロッシが大爆発、優勝候補ブラジルを下して決勝に進む。西ドイツはプラティニ擁するフランスをPK戦で下し、決勝へ勝ち上がる。欧州の両雄が優勝を争い激突、またもやロッシが輝きを見せる。

ワールドカップの歴史 第12回スペイン大会-前編(1982年)

出場国が24に増やされたスペイン大会では、カメルーンやアルジェリアなどの「第三世界」が存在感を見せる。そして天才児マラドーナがWカップ初登場、ジーコのブラジルやプラティニのフランスも華麗な中盤で世界のファンを魅了し、ついにスターたちが激突する…

ワールドカップの歴史 第11回アルゼンチン大会(1978年)

軍事政権の思惑のもとに行われたアルゼンチン大会。プラティニ、ジーコ、ロッシ、ルンメニゲら新時代のスターが次々と登場し、熱い激戦を繰り広げた。決勝はマリオ・ケンペスが2得点を決め、前大会準優勝国のオランダを下して南米の古豪が初栄冠を手にした。

ワールドカップの歴史 第10回西ドイツ大会(1974年)

ヨハン・クライフを中心としたオランダの「トータルフットボール」が西ドイツ大会を席巻、世界に衝撃を与えた。予選リーグで躓いた開催国・西ドイツは、実権を握った「皇帝」ベッケンバウアーがチームの立て直しを図った。そして両雄はついに決勝戦で激突す…

ワールドカップの歴史 第9回メキシコ大会(1970年)

「王様」ペレを始め、トスタン、リベリーノ、ジャイルジーニョら強力な攻撃陣を揃えたブラジルは圧倒的な強さで決勝へ進出する。そして「アステカの死闘」で西ドイツを制したイタリアと3度目の優勝を争い、ペレの先制点など大勝、ジュール・リメ杯を永久保持…

ワールドカップの歴史 第8回イングランド大会(1966年)

「サッカーの母国」イングランドで開催されたワールドカップ。世界を驚かせたのが「東洋の神秘」北朝鮮、イタリアを破るという金星を演じたが、エウゼビオ擁するポルトガルにその勢いを止められてしまう。優勝はイングランド、「疑惑のゴール」で西ドイツを…

ワールドカップの歴史 第7回チリ大会 (1962年)

地震で大きな被害を受けながらも、第7回ワールドカップがチリで開催された。だが大会最大のスター、ペレが予選リーグで負傷離脱、ブラジルの連覇が危ぶまれた。だがその危機を救ったのがガリンシャ。障害を抱えながら超人的なプレーで活躍、ブラジルを優勝に…

ワールドカップの歴史 第6回スウェーデン大会(1958年)

第6回スウェーデン大会では、当時17歳の新鋭・ペレが衝撃のデビュー。強力な陣容を整えたブラジルは、魅力的なサッカーを展開して決勝に進出。開会国スウェーデンを下して悲願の初優勝を達成した。またフランのフォンテーヌが1大会13ゴールを記録する。

ワールドカップの歴史 第5回スイス大会(1954年)

第5回ワールドカップ・スイス大会で優勝候補の本命と目されたのが、「マジック・マジャール」旋風で欧州を席巻していたハンガリーチームだった。ハンガリーは主将プスカシュを負傷で欠きながらも決勝へ進出。しかし西ドイツに逆転負けし「ベルンの奇蹟」に散…

ワールドカップの歴史 第4回ブラジル大会(1950年)

大戦後初となるワールドカップが、南米ブラジルで開催。「サッカーの母国」イングランドも大会初参加となったが、弱小チームのアメリカに敗戦を喫するという失態を演じてしまう。事実上の決勝となったブラジルvsウルグアイ戦は「マラカナンの悲劇」と呼ばれ…

ワールドカップの歴史 第3回フランス大会(1938年)

戦争の足音が近づく中、フランスで第3回ワールドカップが開催。大会得点王となったレオニダス(ブラジル)による黒人特有のしなやかなボール捌きは欧州の観客を驚かせ、「黒いダイアモンド」と呼ばれた。そしてイタリアが2連覇を達成、その実力を証明する。

ワールドカップの歴史 第2回イタリア大会(1934年)

イタリアで開催された第2回ワールドカップは、独裁者ムッソリーニによるプロパガンダの大会となった。優勝を義務づけられたアズーリは、当時欧州最強のオーストリア「ヴンダーティーム」を打ち破り決勝へ。そしてチェコスロバキアを下し、2代目王者に輝く。