サイレントノイズ・スタジアム

サッカーの歴史や人物について

東欧

《サッカー人物伝》アンドレイ・アルシャヴィン(ロシア)

前線を動き回ってボールを引き出し、スピード溢れるドリブルで相手を翻弄。味方を生かしながら自らもゴールを決め、守備にも貢献した現代フットボールの10番。小柄ながら両足の高い技術でボールを操り、優れたゲームメイクで「ロシアの小皇帝」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》アレクサンドル・モストボイ(ソ連 / ロシア)

高い技術と創造性あふれるプレーで戦況を一変、広い視野による状況判断でチーム全体を指揮したロシアのプレーメーカー。変幻自在のドルブルを操り、抜群の突破力と局面打開のパスで観客を魅了した。スペインのセルタで活躍し「バライドスの皇帝」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》ダボール・シュケル(ユーゴスラビア / クロアチア)

左右の柔らかいボールタッチと多彩なキックを駆使し、緩急自在のプレーでゴール前に切り込んだ。時には豪快なシュートを突き刺し、時には冷静にネットを揺らすなど的確な状況判断で得点を重ね「バルカン・トマホーク」と呼ばれた。98年W杯で得点王に輝く。

《サッカー人物伝》アンドリー・シェフチェンコ(ウクライナ)

「ウクライナの矢」と呼ばれた鋭い突破から多彩なシュートでゴールを量産した。スピード、技術、フィジカル、得点感覚とすべてを兼ね備え「スター軍団」ACミランのエースとして活躍した世界最高のストライカー。06年W杯では初出場の母国をベスト8に導く。

《サッカー人物伝》オレグ・ブロヒン(ソビエト連邦/ウクライナ)

俊足を飛ばし、切れ味鋭いドリブルで敵陣を引き裂いた左ウィング。そのずば抜けたスピードと得点力から「ウクライナの矢」と呼ばれた。75年には、ソ連クラブ初となるUEFAカップウィナーズカップ制覇に大きく貢献。その活躍でバロンドールに選ばれている。

《サッカー人物伝》ドラガン・ジャイッチ(ユーゴスラビア)

ユーゴスラビアが生んだ最高の名手。スピードと技巧に富んだドリブルで左サイドを突破、鋭く曲がるクロスで多くの得点を演出した。ユーゴの名門ツルベナ・ズベズダ(レッドスター)の左ウィングとして活躍、クラブレジェンド「五大星人」の一人に数えられる。

《サッカー人物伝》ズボニミール・ボバン(ユーゴスラビア / クロアチア)

両足を自在に操り、俯瞰したかのような広い視野と冷静な戦術眼でゲームを組み立てた攻撃的MF。チェス好きで読書家という知性派ながら、ヒゲを生やした精悍な風貌と闘志を秘めたプレーから「ゾロ」の愛称を持つ。98年のWカップでは3位入賞に貢献した。

《サッカー人物伝》ヴァレリー・ロバノフスキー(ソビエト連邦 / ウクライナ)

科学的アプローチで現代の潮流となったプレッシング戦術を生み出し、70~80年代のソ連リーグを席巻。それまでモスクワのクラブが独占していたタイトルを奪い、ディナモ・キエフを率いて数々の栄冠に輝いたウクライナの知将。ソ連代表監督としても実績を残す。

《サッカー人物伝》ドラガン・ストイコビッチ(ユーゴスラビア)

脅威のテクニックと自在なパスワークでピッチを支配、さらには正確なフリーキックやシュートなど、フィニッシャーとしての才能も発揮した。一時期故障に悩むが、Jリーグの名古屋グランパスで輝きを取り戻して、世界レベルの技を日本のファンに見せてくれた。

イビチャ・オシム氏 死去

元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が、5月1日にオーストリア・グラーツにある自宅で急死したことが、かつて指揮を執ったオーストリア1部のシュトゥルム・グラーツから発表された。死因はまだ不明とのこと、6日に81歳の誕生日を迎える直前の訃報だった。

《サッカー人物伝》ゲオルゲ・ハジ(ルーマニア)

卓越したパスセンスとセカンドストライカーとしての能力、そしてゲームの流れを読み取る嗅覚は典型的な「10番」タイプ。172㎝の小柄な身体と、レフティーのゲームメイカーという共通点から「東欧のマラドーナ」と呼ばれた。94年W杯のベスト8に貢献。

《サッカー人物伝》フリスト・ストイチコフ(ブルガリア)

パワフルかつスピードあふれるドリブルで敵陣を突破、強烈な左足キックで相手ゴールを陥れた。加えて繊細なボールタッチを持ち、正確なパスで味方のチャンスを演出。また気性の荒さで知られ、並外れた闘争心と勝利への執念で仲間を鼓舞し「闘将」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》レフ・ヤシン(ソビエト)

高い身体能力でアクロバティックなセービングを見せ、鋭い反応で至近距離からのシュートを阻止。Pエリアを飛び出しての守備範囲の広さは「スイーパー・キーパー」の先駆けとなった。190㎝近い長身と長い手足、黒いユニフォームから「黒蜘蛛」と呼ばれた。