サイレントノイズ・スタジアム

サッカーの歴史や人物について

ドイツ / トルコ

《サッカー人物伝》バスティアン・シュバインシュタイガー(ドイツ)

無尽蔵のスタミナと球際の強さに加え、高度な戦術眼と優れた展開力で攻守に能力を発揮した万能型MF。持ち前の馬力と高いスキルでゲームをコントロールするプレーはパワフルかつエレガント。時に中長距離のキックで相手ゴールを陥れた。ドイツ中盤の支配者。

《サッカー人物伝》フィリップ・ラーム(ドイツ)

170㎝と小柄ながらスピード、テクニック、スタミナに優れ、正確なタックルで鮮やかにボールを奪った。秀でたインテリジェンスで攻守の要となり、機を見たオーバーラップで攻撃参加。高い精度のクロスでチャンスを作り、世界屈指のサイドバックと呼ばれた。

元西ドイツ代表DF アンドレアス・ブレーメ死去

20日、元西ドイツ代表DFで90年W杯優勝メンバーのアンドレアス・ブレーメさんが、心不全によりミュンヘンで急死したことが同氏のパートナーを通じて伝えられた。享年63歳。現役時代のブレーメさんはプレースキックの名手として活躍。ドイツの強豪‥・

《サッカー人物伝》ミロスラフ・クローゼ(ドイツ)

「4年にいちど 世界で輝く男」 ポジショニングの上手さと絶妙な動き出しからいち早くボールを捉え、抜群のヘディングスキルで得点を量産したセンターフォワード。フィジカルを活かしたボールキープにも優れ、ポストプレーでチャンスも作った。またピッチ上で…

《サッカー人物伝》ミヒャエル・バラック(ドイツ)

強靱なフィジカルと技術を備え、攻守ともに長けたオールラウンドタイプの大型MF。長身を活かしたド迫力のヘディングとパワフルなミドルシュートを武器とし、高い戦術眼と運動量でチームを統率。ベッケンバウアーの再来と言われ「小皇帝」の異名で呼ばれた。

《サッカー人物伝》ヴォルフガング・オベラート(西ドイツ)

左足一本から繰り出される多彩なパスを駆使し、幅広い動きで攻撃をリードしたゲームメイカー。またミドルシュートを得意とし、たびたび鮮やかなゴールを決めた。ピッチ上で旋律を奏でる繊細なプレーで、「芸術家」と呼ばれる。74年のW杯で優勝に貢献した。

《サッカー人物伝》マティアス・ザマー(ドイツ)

強靱なフィジカルと豊富なスタミナで守備を安定させ、疾風怒濤の攻撃参加で得点機に絡んだフォアリベロ。その攻守におけるオールラウンドな能力で、90年代ドイツの代表的プレーヤーとなった。ドルトムントとユーロ96での活躍で、バロンドール賞に輝く。

《サッカー人物伝》ユルゲン・クリンスマン(ドイツ)

スピードを活かした幅広い動きから、アグレッシブに攻撃を仕掛けたドイツのエース・ストライカー。非凡な得点感覚と得意のヘディングでゴールを量産し、颯爽と金髪をなびかせる姿から「ブロンドの隼」と呼ばれた。90年のW杯とユーロ96で優勝を果たした。

《サッカー人物伝》ベルント・シュスター(西ドイツ)

華麗なボールコントロールとダイナミックなドリブルで好機を演出。ブロンドをなびかせ、巧みにボールを操る華麗なスタイルから「金髪の天使」と呼ばれた80年代のゲームメーカー。80年の欧州選手権で彗星のように現れ、司令塔として西ドイツを優勝に導く。

《サッカー人物伝》ハカン・シュキュル (トルコ)

大柄な体格を活かしたポストプレーで前線の起点となり、得意のヘディングと右足から放たれる強烈なシュートでゴールを陥れた。そのパワフルなプレーで「ボスポラスの雄牛」と呼ばれたトルコのストライカー。ガラタサライで長らく活躍、日韓W杯にも出場した。

《サッカー人物伝》オリバー・カーン(ドイツ)

仁王のような威圧感で相手の前に立ち塞がり、俊敏な反応と優れたセービング技術でゴールを死守した。その強烈な個性と闘争心、強いリーダーシップでチームを牽引したドイツの守護神。主将を務めた日韓W杯では、前評判の高くなかったドイツを準優勝に導いた。

《サッカー人物伝》カール=ハインツ・ルンメニゲ(西ドイツ)

強靱なフィジカルと豊かなスピードを持ち合わせ、ダイナミックな突破から相手ゴールを陥れた。ブンデスリーガでは3度得点王を獲得、その活躍でバイエルンに多くのタイトルをもたらす。2年連続でバロンドール賞に輝き「ミスター・ヨーロッパ」と称えられた。

《サッカー人物伝》ローター・マテウス(ドイツ)

小柄な身体だが確かな技術と豊富な運動量を兼ね備え、旺盛なファイティングスピリットでチームを統率したドイツの猛将。20年の長きにわたって代表で活躍、主将としてW杯優勝を果たした。同国最多記録となる150キャップを誇り「ドイツの鉄人」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》パウル・ブライトナー(西ドイツ)

積極果敢なオーバーラップと思いっきりのいいシュートを武器に、攻撃的な左サイドバックとして活躍。SBとしてB・ミュンヘンの黄金時代を支え、R・マドリードに移るとゲームメイカーの役割を担った。自国開催Wカップの決勝では、貴重なPKを決めている。

《サッカー人物伝》ピエール・リトバルスキー(西ドイツ)

「ドリブラルスキー」とあだ名を付けられたほど、ドリブルを得意とした西ドイツのウィンガー。小柄ながらその武器を生かして代表レギュラーを長く務め、90年のWカップ優勝にも貢献し「O脚のドリブル王」と呼ばれた。キャリアの晩年にはJリーグで活躍した。

《サッカー人物伝》デットマール・クラマー(西ドイツ)

「世界を巡るサッカー伝道師」 64年の東京オリンピックを控えながら、戦争によるブランクや古い慣習、財政難などで日本代表は低迷。そこで強化を図った日本蹴球協会(現、日本サッカー協会)からの招聘を受け来日、遅れていた日本サッカーの土台づくりと、の…

《サッカー人物伝》フリッツ・バルター(西ドイツ)

強靱なフィジカルを誇り、技術も高く柔らかいボールタッチと強いシュートを合わせ持ったインナーFW。またヒールキックによるトリッキーなシュートの名手としても知られた。生まれながらのリーダーシップ勝利を呼び込み「ゲルマンの偉大な主将」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》フランツ・ベッケンバウアー〈後編〉(西ドイツ)

12年の代表歴でAマッチ103試合に出場、14得点を記録し50試合で主将を務めた。3回出場したWカップでは中心選手として優勝、準優勝、3位を経験。2回出場した欧州選手権では優勝と準優勝に貢献し、西ドイツ代表監督としてWカップ優勝も果たした。

《サッカー人物伝》フランツ・ベッケンバウアー〈前編〉(西ドイツ)

DFながら、好機と見るや攻撃に参加。卓越した戦術眼とエレガントなプレーで、リベロのポジションに革命的なスタイルを確立した。B・ミュンヘン、そして西ドイツ代表の「カイザー(皇帝)」としてチームに君臨し、あらゆる栄冠を手にしたサッカー界の巨星。

サッカー元西ドイツ代表主将、ウーベ・ゼーラー死去

50年~60年代にかけてハンブルガーSVで活躍し、西ドイツ代表としても4度のWカップに出場した名FWのウーベ・ゼーラーさんが、21日にハンブルグ近郊の自宅で亡くなったことが、ドイツサッカー連盟(DFB)などから発表された。享年85歳だった。

《サッカー人物伝》ゲルト・ミュラー(西ドイツ)

華麗なテクニックがあったわけではないが抜群の嗅覚と並外れたシュートの能力でゴールを量産。60-70年代の西ドイツ代表とバイエルン・ミュンヘンに多くの栄光をもたらしたストライカー。その驚異的な得点能力で「デル・ボンバー(爆撃機)」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》ギュンター・ネッツァー(西ドイツ)

ブロンドの長髪をなびかせ、軽快なタッチでボールをコントロール。隙あらばドリブルで敵陣深く切り込み「センチメーターパス」と呼ばれた長短の正確なキックで戦況を一変。欧州屈指のFKで相手を恐怖に陥れた稀代のゲームメーカー。72年欧州選手権で活躍。