サイレントノイズ・スタジアム

サッカーの歴史や人物について

昭和の名女優 久我美子さん死去

 

華族出身の気品と風格

映画『また逢う日まで』などで知られる昭和の名女優、久我美子(本名、小野田美子はるこ)さんが9日に誤嚥ごえん性肺炎のため死去したことが、所属事務所のワタナベエンターテンンメントから公表された。

久我さんは村上源氏の流れを汲む華族の出身。その気品ある容姿とにじみ出る内面の美しさで、戦後の日本映画界を彩った名女優だった。93歳没。

1931年生まれの東京牛込育ち。侯爵で貴族議員を務める父、久我通顕の長女として育つ。

女子学習院中等科在籍中の1946年、「東宝ニューフェース」オーディションに応募。4,000人もの中から、三船敏郎さんらとともに約50人の第1期生に選ばれた。

翌47年、女子学院を中退して『四つの恋の物語』(豊田四郎監督)でスクリーンデビュー。祖父から映画界入りを猛反対されていたため、一時は名前を変えて活動する。そして18年公開の黒澤明監督作品、『酔いどれ天使』ではセーラー服の女学生を演じ、強い印象を残す。

 

日本映画史上に残るラブシーン

人気を決定づけたのは50年公開の『また逢う日まで』(今井正監督)。久我さんが岡田英次さんと窓ガラス越しにキスをする場面は、日本映画史に残る名ラブシーンとして語り継がれている。

その後も巨匠たちに重用され、黒澤明『白痴』(51年)、木下惠介女の園』(54年)、小津安二郎彼岸花』(58年)などの作品に出演。その気品と風格で映画ファンに愛された。

54年には岸惠子さん、有馬稲子さんとともに、女性だけの文芸プロダクション「にんじんくらぶ」を設立。『人間の条件』(59~61年、小林正樹監督)、『お吟さま』(62年、田中絹代監督)、『乾いた花』(64年、篠田正浩監督)などの作品を世に送り出す。

また69年にはフジテレビの情報番組『3時のあなた』で1年間司会を務めるなど、テレビでも活躍。NHK連続テレビ小説『旅路』『風の都』や、大河ドラマ『新・平家物語』『勝海舟』などにも出演した。

遺作となったのは、2000年公開の映画『川の流れのように』(秋元康監督)。それ以降は実質的な活動停止状態となり、晩年は養護施設で暮らしていたという。最近までは元気だったが、誤嚥性肺炎を起こし入院。そのまま帰らぬ人となった。