「ゴールを狙うスナイパー」
両足から長短を織り交ぜた正確無比なキックを繰り出し、多くのチャンスを創出。広い視野と明確なプレービジョンを持ったゲームメーカー。機を見て放つミドルシュートの威力は抜群で、プレースキックの精度は他の追随を許さなかった。典型的な10番タイプの名手として活躍したのが、ウェズレイ・スナイデル( Wesley Benjamin Sneijder )だ。
オランダの名門アヤックスで頭角を現し、大きな期待を背負ってビッグクラブのレアル・マドリードと契約。07-08シーズンのリーガ・エスパニョーラ優勝に貢献するも、わずか2シーズンで放出される。09年に移籍したインテル・ミラノではその鬱憤を晴らし、主要タイトル3冠の立役者となった。
オランダ代表でもチームの司令塔として活躍。ロッベン、ファンペルシーとともに攻撃の3本柱を構成し、10年W杯・南アフリカ大会の準優勝に大きく貢献。5得点を挙げて大会のシルバーブーツ賞とシルバーボール賞に輝き、クラブの活躍と合わせてバロンドール候補にもなった。代表では同国歴代最多となる133試合出場の記録を持つ。
フットボール一家の才能
ウェズレイ・スナイデルは1984年6月9日、オランダ中部の都市ユトレヒトで生まれた。祖父、父ともに元プロサッカー選手で、ウェズレイら3人の兄弟もサッカーの道へ進むというフットボール一家で育つ。
幼少期は兄弟や近所の仲間とのストリートサッカーでスキルを磨き、6歳でアマチュアクラブのDOSに入団。7歳のときにはアヤックスのトライアルを受け、兄のジェフレイと共に高名なアカデミーでクラブの哲学を学んだ。
アヤックスユースではその豊かな才能が認められ、18歳となった02年12月にトップチーム昇格。翌03年2月のヴィレムⅡ戦で公式戦デビューを果たす。そしてルーキーながら02-03シーズンは17試合4ゴールの成績を残し、チャンピオンズリーグにも出場した。
翌03-04シーズンはセンターハーフのレギュラーに定着すると、30試合9ゴールの活躍。クラブの2季ぶりとなるエールディヴィジ優勝に貢献し、この年のヨハン・クライフ賞(最優秀若手選手賞)に選ばれる。
このあとスナイデルはアヤックスの若き司令塔として成長。06年5月のKNVBカップ(オランダカップ)決勝では、フンテラールの先制点をお膳立て。2-1の勝利に大きく貢献し、チームを4季ぶりの優勝へ導く。
初のW杯出場
03年4月に行なわれた親善試合のポルトガル戦で、18歳にしてのフル代表デビュー。この試合で共に代表初キャップを刻んだのが、同い年のアリエン・ロッベンである。そして同年10月のユーロ予選・モルトバ戦で初ゴールを記録。ロッベンも同じくモルトバ戦で代表初ゴールを決めている。
ユーロ予選でグループ2位となったオランダは、本大会出場を懸けてスコットランドとのプレーオフを戦う。アウェーでの第1戦は0-1と敗れるが、ホームのでの第2戦はスナイデルが1得点3アシストの活躍。オランダを本大会出場に導く。
このままユーロ04のメンバーにも選ばれるが、本大会に入ってからの戦術変更により、G/L初戦のドイツ戦はベンチスタート。オランダはグループ2位でベスト8に進み、準決勝でスウェーデンをPK戦で下して準決勝進出。準決勝では開催国ポルトガルに1-2と敗れ、惜しくも決勝進出はならなかった。
スナイデルの出番はG/L2試合のわずか60分に留まり、この大会でブレイクしたロッベンの活躍の前に、その存在感は薄れてしまう。
同年8月から始まったW杯欧州予選は7試合で2ゴールを挙げ、オランダの2大会ぶりとなるW杯出場決定に貢献。22歳で世界の大舞台に立つこととなった。
06年6月、Wカップ・ドイツ大会が開幕。初戦のセルビア・モンテネグロ戦は、カウンターからロッベンのゴールが生まれて1-0の勝利。第2戦はファンペルシーのFKとファンニステルローイの得点でコートジボワールを2-1と退け、早くもグループ突破を決める。
主力を温存した最終節は、強豪アルゼンチンとスコアレスドロー。3戦全部に先発したスナイデルは、再三のラストパスでチームのリズムをつくり、グループ2位突破に貢献した。
トーナメント1回戦の相手はポルトガル。試合はイエローカード16枚、レッドカード4枚が飛び交う大荒れの展開となった。前半に先制されたオランダは、後半訪れた数的有利のチャンスを活かせず、0-1の敗戦。ユーロ04準決勝の雪辱を果たせずに終わる。
レアル・マドリードへの移籍
06-07シーズン、アヤックスの10番を背負ったスナイデルは、積極的にシュートを狙って公式戦47試合22ゴールの大爆発。リーグ戦ではライバルPSVの3連覇を許すも、KNVBカップでは2年連続のタイトルを得る。
その活躍が認められ、07-08シーズンはスペインのレアル・マドリードへ移籍。チェルシーから移ってきた盟友ロッベンと共に、名門チームの攻撃を担うこととなった。
前年退団したベッカムの23番のユニフォームを着用したスナイデルは、アトレティコ・マドリードとのマドリードダービーでリーガ・エスパニョーラデビュー。さっそく決勝ゴールを挙げるなど華々しいスタートを切った。
続くビジャレアル戦でもFKを決めるなど2得点の活躍。こうして期待通りの働きを見せたスナイデルは、移籍1年目で30試合9ゴールの好成績を残し、チームのリーガ2連覇に重要な役割を果たした。
翌08-09シーズンはロビーニョが抜けたあとの10番を与えられるも、リーグ開幕戦を控えたアーセナルとのプレシーズンマッチで左足前十字靱帯損傷の大怪我。自身の不倫による裁判沙汰など私生活のゴタゴタもあり、22試合2ゴールと精彩を欠く成績に終わった。
スナイデルはチームに残っての再起を願うも、クリスティアーノ・ロナウドやベンゼマなど大型補強の煽りを受け、ロッベンと共にレアルを放出されてしまう。
インテル三冠達成の立役者
09年8月には、ジョゼ・モウリーニョ監督率いるイタリアのインテル・ミラノへ移籍。その契約の2日後、背番号10を背負ってACミランとのミラノダービーでセリエAデビュー。さっそく素晴らしいパフォーマンスを披露し、4-0の快勝に貢献する。
その後もチームの頼れる司令塔として攻撃を支え、公式戦41試合8ゴールの活躍。狙い澄ましたパスと精度抜群のFKでたびたびチームの危機を救い、インテルのセリエA5連覇と4季ぶりとなるコッパ・イタリア制覇に貢献する。
チャンピオンズリーグでもグループステージで4試合に出場し、決勝ステージ進出に寄与。ラウンド16ではプレミア王者のチェルシーと戦う。
チェルシーをホームに迎えての第1戦は、ディエゴ・ミリートの先制点をお膳立て。後半51分に追いつかれるが、その5分後にはまたもスナイデルのアシストからカンビアッソが決勝点。アウェーゴールを許しながらも勝利をモノにする。
アウェーでの第2レグは、0-0のまま進んだ後半78分、スナイデルのパスに抜け出したエトーが決定的なゴール。司令塔の3得点に絡む活躍でベスト8に進む。
準々決勝でCSKAモスクワを下し、準決勝では優勝候補のバルセロナと対戦。ホームの第1戦は前半の19分に先制点を許すが、反撃に転じた30分にスナイデルが同点弾。後半に主導権を握ると、48分にマイコンが逆転ゴール。61分にミリートが追加点を挙げ、3-1の勝利を収める。アウェーの第2戦は0-1と敗れるが、2戦合計3-2としたインテルが決勝に勝ち上がる。
決勝の相手はバイエルン・ミュンヘン。ファイナルの舞台となったのは、前年まで所属したレアルの本拠地、サンティアゴ・ベルナベウだった。
試合は前半35分、スナイデルのスルーパスに反応したミリートが先制ゴール。後半70分にもミリートが追加点を挙げ、2-0の快勝。インテルは45年ぶりとなる欧州クラブ王者に輝くと共に、イタリアのクラブでは初となる主要タイトル三冠を達成。
その偉業の立役者となったのは、攻撃の司令塔としてチームを勝利に導いたスナイデル。秀でた活躍でこの年のUEFA最優秀MF賞に選出される。彼が武器とする正確無比な長短のパスと、絶対枠を外さないFKの精度から「スナイパー」の異名で呼ばれた。
オレンジ軍団の司令塔
08年6月、オーストリア/スイス共催のユーロ大会に出場。初戦は06年W杯王者のイタリアと戦った。試合は前半26分、スナイデルのシュートがGKブッフォンに弾かれたところを、ファンニステルローイが拾って先制点。さらにその5分後、カイトのクロスをスナイデルがボレーで合わせて追加点。終盤にも得点が生まれ、オランダが3-0の快勝を収める。
第2戦もW杯準優勝のフランスを圧倒。試合終盤にはスナイデルが振り向きざまのシュートでダメを押し、4-1の勝利。主力を温存したルーマニア戦も2-0と3連勝し、強豪が揃うグループでの1位突破を決めた。
準々決勝のロシア戦は、アルシャビンの勢いの前に延長で1-3の敗戦。オランダは惜しくもベスト8敗退となったが、高いパフォーマンスを見せたスナイデルは大会優秀選手の23名に選ばれる。
ユーロ後に始まったW杯欧州予選では、オランダが圧倒的強さでグループ首位突破。攻守に豊富なタレントを擁したオレンジ軍団は、優勝候補の一角にも挙げられた。
10年6月、Wカップ・南アフリカ大会が開幕。初戦で難敵デンマークを2-0と打ち破ったオランダは、続いて日本と対戦する。相手の組織的な守備を攻めあぐね、0-0と折り返した後半の53分、闘莉王のクリアを拾ったスナイデルが渾身のシュート。カーブの掛かったボールはGK川島永嗣のパンチングをすり抜け、先制点が決った。
このあとオランダは日本の反撃をかわして1-0と2連勝。最終節もカメルーンを2-1と退け、グループ全勝で決勝トーナメントに進む。ロッベンが怪我から復帰したトーナメント1回戦は、スロバキアに2-1の勝利。準々決勝の相手は強豪ブラジルだった。
開始10分、ロビーニョの先制点を許して劣勢を強いられるが、体勢を立て直した後半の53分、ロッベンのパスを受けたスナイデルがゴール前へクロス。これが相手のオウンゴールを誘って同点に追いつく。
さらに68分、右CKのチャンスからスナイデルがヘディングシュート。殊勲の逆転ゴールとなり、王国ブラジルを2-1と下してベスト4へと勝ち上がる。
準決勝の相手は南米の古豪ウルグアイ。1-1で折り返した後半の70分、ファンペルシーのパスに反応したスナイデルが勝ち越し弾。その3分後にはロッベンの追加点が生まれた。このあとウルグアイの反撃を1点に抑え、3-2と勝利したオランダが8大会ぶり3度目の決勝へ進出する。
幻のバロンドーラ
決勝は共にW杯初優勝を狙うスペインとの戦い。緊迫した攻防戦が続いた後半の62分、スナイデルのスルーパスに抜け出したロッベンがキーパーと1対1。だがカシージャスの攻守に最大のチャンスを阻まれ、先制点はならなかった。
白熱した接戦となった決勝は延長戦に突入。その延長後半の116分、セスクのパスを受けたイニエスタがスペインを勝利に導く決勝点。0-1と敗れたオランダは悲願の初優勝を逃してしまう。
それでも大会得点王に並ぶ5ゴールでチームを牽引したスナイデルは、シルバーボール賞とブロンズブーツ賞を受賞。インテルでの活躍と合わせて、この年のバロンドールでも最有力候補に挙げられる。
しかし大方の予想に反してバロンドールの最終候補3名から外れてしまい、メッシ、シャビ、イニエスタに続く4位の得票。最も年間最優秀選手賞にふさわしいと思われた男の落選は、世間の物議を醸して「幻のバロンドーラ」と呼ばれた。
ガラタサライの人気選手
10-11シーズン、公式戦39試合7ゴールの成績でインテルのセリエA5連覇に貢献。10年12月にはUAEで開催されたクラブW杯に出場するも、初戦の試合わずか2分で負傷退場。インテルは世界クラブ王者に輝くが、スナイデルが決勝のピッチに立つことはなかった。
そして11-12シーズンは太腿の怪我で28試合5ゴールの成績に留まり、ライバルのミランにリーグタイトル奪回を許してしまう。翌12-13シーズンも故障により2ヶ月の戦線離脱。怪我から回復してもスナイデルに先発の機会は与えられず、シーズン途中でのインテル退団を決意。13年1月にはトルコのガラタサライと新たな契約を交わす。
同年の4月、CL準決勝のレアル・マドリード戦で、古巣を打ち破る殊勲のゴール。ホームスタジアムに詰めかけたサポーターを沸かせた。移籍2年目の13-14シーズン、公式戦42試合17ゴールの活躍。テュルキエ・クパス(トルコカップ)優勝に貢献する。
翌14-15シーズンも44試合14ゴールと安定した成績を残し、シュペルリグ(トルコリーグ)制覇に大きく貢献。最優秀外国人選手賞に輝くなど、ガラタサライの人気選手として5年間プレーした。
オランダ代表のキャプテン
ユーロ2012(ポーランド/ウクライナ共催)は強豪が揃う「死のグループ」で不覚の3戦全敗に終わり、オランダは2年後のW杯で雪辱を期すことになった。
14年6月、Wカップ・ブラジル大会が開幕。初戦で前回王者のスペインを5-1と粉砕すると、第2戦はオーストラリアに3-2と粘り勝ち。第3戦でチリに2-0と快勝し、難敵揃いのグループを首位で勝ち上がった。
トーナメント1回戦は中米の雄メキシコに苦戦。試合終盤まで1点のリードを許すが、終了時間が迫った88分にスナイデルがシュートを叩き込んで同点。後半アディショナルタイムにはフンテラールがPKを沈め、オランダが2-1と鮮やかな逆転劇を飾る。
準々決勝は伏兵コスタリカをPK戦で下すも、準決勝では強敵アルゼンチンにPK戦での敗北。オランダは地元ブラジルとの3位決定戦に臨むことになったが、スナイデルは試合前のウォームアップで負傷。急遽先発から外れ、チームの3位入賞に寄与できなかった。
それでもスナイデルはオランダのキャプテンとして6試合にフル出場。4年前ほどのキレはなくとも、チームの司令塔として充分な働きを見せた。
現役晩年のキャリア
17年8月、フリー移籍でリーグ・アンのニースへ移籍。だが定位置を確保できないまま5ヶ月でチームを退団し、18年1月にはカタールのアル・ガラファと契約。ここで1シーズン半を過ごし、19年8月に35歳で現役を引退する。
代表ではユーロ2016予選と18年W杯欧州予選に参加するが、オランダはいずれも本大会出場を逃し、スナイデルはキャリアの晩年を飾ることができなかった。
16年間の代表歴で134試合に出場、31ゴールの記録を残した。代表134キャップの記録は、同国歴代最多出場レコードである。
引退後は故郷ユトレヒトのコーチを短期間務めたあと、2020年7月には弟ロドニーが所属するアマチュアクラブのDHSCユトレヒト(オランダ5部リーグ)でプレー。現在はオランダのテレビ局である「RTL7」のコメンテーターとして活動している。