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恩地日出夫監督 死去

〈2022年2月4日の記事〉

 

青春映画の名手

青春映画の名手として知られ、テレビドラマの演出も手がけた映画監督の恩地日出夫おんちひでおさんの死去が発表された。

昨年末に体調を崩し、年を明けて1月20日横浜市内の病院で亡くなったとのこと。死因は肺がん、享年88歳だった。告別式は近親者で済ませ、喪主は妻で美術監督星埜ほしの恵子さんが務めた。

 
映画とテレビドラマで活躍

恩地さんは1933年1月23日、東京世田谷区の下馬生まれ。戦時中に長野、山形の学童疎開を経験したあと、都立千歳高校を経て慶應義塾大学・経済学科に進み、在学中は新聞部に籍を置いていた。

55年の卒業と同時に東宝へ入社、同期には森谷司郎がいた。主に堀川弘道監督の助監につき、61年に28歳の若さで監督昇進。『若い狼』でデビューを飾ると、第2作『高校生と女教師・非情の青春』(62年)で注目される。

やがて公私ともに団令子に惚れ込み、彼女の主演作『素晴らしい悪女』(63年)、『女体』(64年)などを発表。しかしこれらの作品は「観念的」「難解」とクサされ、一時は会社からも干されてしまう。

66年には内藤洋子を売り出すための企画映画『あこがれ』を監督、そのナイーブな映像感覚が評判となる。このあと撮った同じ内藤洋子主演の『伊豆の踊子』(67年)、酒井和歌子主演の『めぐりあい』(68年)とともに、青春映画に新境地を開いたと言われた。

70年代以降はテレビに活躍の場を移し、萩原健一主演『傷だらけの天使』(74~75年)の演出を担当。79年には泉谷しげるを主演に抜擢した『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』で芸術祭賞優秀賞を受賞する。

その後も、日本テレビ系 “火曜サスペンス劇場” の演出を手がけるほか、映画では事件被害者の手記を基にした『生きてみたいもう一度・新宿バス放火事件』(85年)、日本の原風景を叙情的に描いた『四万十川』(91年)、姥捨伝説を題材にした『蕨野行』(03年)などの話題作を発表している。