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サッカーの歴史や人物について

渡哲也さん 死去

〈2020年8月15日の記事〉

 

石原軍団の牽引役

『無頼』シリーズなどの日活アクション映画や、『大都会』『西部警察』シリーズなどテレビ史に残るアクションドラマで活躍、「石原軍団」を率いた俳優の渡哲也(本名・渡瀬 道彦)さんが10日、肺炎のため都内の病院で死去したことが石原プロモーションから発表された。

渡さんは9日朝に緊急搬送され、10日に家族が看取る中、息を引き取った。発表は家族葬が終わった後の14日夜。葬儀に参列したのは家族のほか、石原プロの幹部数人だけ。「静かに送って欲しい」という故人の強い希望で、舘ひろしさんら俳優の姿はなかった。

先月、石原プロは来年1月に芸能事務所としての業務終了を発表していた。大きな役目を終えての永眠だった。享年78歳。

日活アクションからテレビドラマへ

渡さんは、1941(昭和16)年12月28日生まれの兵庫県淡路町出身。青山学院大学経済学部在学中に、遊び半分で行った日活撮影所の食堂でスカウトされ、64年に日活へ入社した。「第二の石原裕次郎」と大々的に売り出され、翌年『暴れ騎士道』でデビュー。

その後は『東京流れ者』(66年、鈴木清順監督)や『無頼』シリーズなど、学生時代に打ち込んだ空手の腕前も生かし、日活アクションのニューシネマ時代を支えるスターとなった。

石原裕次郎さんとは、『嵐を呼ぶ男』のリバイバル作品に主演した際に初対面。握手とともに激励の言葉を貰ったことに感動する。裕次郎さんに薫陶を受けた渡さんは、その姿勢を見習って年下の俳優が挨拶しに来たときには、自分も立ち上がって握手することで知られていた。

日活がロマンポルノ路線に転換した71年に退社を決意。東映など複数の映画会社から熱心な誘いを受けるが、渡さんは裕次郎さんと行動をともにすることを決意、借金で倒産寸前の石原プロに72年に入社した。

その後は深作欣二監督の『仁義の墓場』や『やくざの墓場 くちなしの花』などのヤクザ映画で評価を高め、70年代後半からは『大都会』シリーズなどの刑事ドラマで人気を集めた。79年に始まった『西部警察』では角刈りサングラスの大門刑事が評判を呼び、『太陽に吠えろ!』と並ぶ石原プロの金看板ドラマとなった。

 
多方面での活躍

歌手としても活躍、73年発売の『くちなしの花』が約90万枚を売り上げるヒット。全日本有線大賞金賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場した。87年、裕次郎さんが肝細胞ガンのため52歳で死去したあと、その意志を継いで石原プロ社長に就任、「石原軍団」と呼ばれる個性的な所属俳優を率いた。

91年に直腸ガンで手術を受けたが、その後もNHK大河ドラマ『秀吉』、映画『誘拐』、テレビドラマ『熟年離婚』などに出演。こわもての刑事役から、篤実な人柄が滲み出る父親役まで年齢とともに円熟味を増しながら幅広く演じ続けた。

05年に紫綬褒章、13年に旭日小受綬、15年に急性心筋梗塞で入院したあとは表舞台から遠ざかる。17年には弟で俳優の渡瀬恒彦さんが多臓器不全により72歳で死去、それからはガックリと肩を落とすことが増えたと伝えられた。その後呼吸疾患の影響で再び体調を崩し、自宅療養を続けていた。