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女優ナタリー・ウッド、謎の死の真相

 

スター女優の突然の訃報

1981年11月下旬、『理由なき反抗』『ウェスト・サイド物語』『草原の輝き』などの名作で知られるスター女優、ナタリー・ウッドの事故死が突然の訃報として世界を駆け巡った。

 

ナタリーは映画『ブレインストーム』(ダグラス・トランブル監督)の撮影中、感謝祭の週末にに出かけたヨットで行方不明となり、翌日、カルフォルニア沖にあるサンタカタリナ島で水死体となって発見されたという。まだ43歳の若さだった。

 

彼女の死はロサンゼルス警察の2週間にわたる調査で事故と発表されたが、その時の状況には不明な点が多く、当初から殺人事件も疑われた。

 

そして2011年には新たな情報により、ロス警察が再捜査を開始。死因は「事故死」から「不審死」へと変更され、18年には元夫で俳優のロバート・ワグナーへ重要参考人としての取り調べ請求が行なわれる。

 

だがワグナーはナタリーの死への関与を全面否定、警察の事情聴取にも頑として応じなかった。そのため事の真相は今もって明らかにされていない。

 

子役から青春スターへ

ナタリー・ウッドは1938年7月20日カルフォルニア州のサンフランシスコで生まれた。本名はナターシャ・ニコラエベナ・ザカレンコ。母親のマリアはロシア革命による内乱を避け、アメリカへ逃れてきたロシア移民である。

ともに逃げてきたロシア人の夫と別れた母マリアは、大工のニコラス・ザカレンコと再婚。その5ヶ月後にナタリーが生まれ、娘が幼い頃に一家はサンタ・ローザへ居を構えた。ちなみにナタリーは3人姉妹の次女。8歳下の妹ラナ・ウッドものちに女優となり、『007 / ダイアモンドは永遠に』(71年)ではボンドガールを務めている。

4歳の時に地元で映画撮影のロケが行なわれ、たまたまそれを見学していたナタリーがスカウトされて端役出演。これがきっかけとなり女優への道を進み始める。ナタリー・ウッドの芸名は、契約したユニバーサル社のサム・ウッド監督から貰ったものである。

47年にはクリスマス映画『三十四丁目の奇蹟』に出演。映画は大ヒットし、9歳のナタリーは可憐な少女役で人気を得た。こうして子役としての出演を重ね、少女はやがて勝ち気で美しい娘役へと成長していく。

16歳のときにジェームズ・ディーンの恋人役を演じた『理由なき反抗』(55年、ニコラス・レイ監督)では、アカデミー助演女優賞にノミネート。青春スターとしての地位を確立する。翌56年には巨匠ジョン・フォード監督の西部劇『捜索者』にキャスティングされるなど、順調にキャリアを重ねていった。

 

その一方で彼女は恋多き女性として知られ、ジェームズ・ディーンレイモンド・バーエルヴィス・プレスリーデニス・ホッパーら多くの有名スターと浮き名を流す。

また妹のラナ・ウッドが21年に出版した伝記『リトル・シスター』では、この頃『捜索者』に出演中だったナタリーが、大物俳優(カーク・ダグラスと推測されている)から性的暴行を受けたと衝撃の告白がされている。

57年、子役時代からの顔なじみだったロバート・ワグナーと19歳で結婚。しかしスターとしての格の違いから、二人の関係はそのうち不和を生じ、夫婦生活は4年しか続かなかった。

離婚が成立した61年、ナタリーは『草原の輝き』(エリア・カザン監督)、『ウエスト・サイド物語』(ロバート・ワイズ監督)と立て続けに主演。『草原の輝き』ではアカデミー主演女優賞にノミネート。ミュージカルの名作『ウエスト・サイド物語』では、歌声を吹き替えられながらもヒロインのマリアを見事に演じあげ、俳優のキャリアはピークを迎えた。

『草原の輝き』で共演したウォーレン・ベイテイとは婚約を結ぶが、結局うまくいかずに解消。またマイケル・ケインやデヴィッド・ニーブンとの仲も噂されるなど、恋愛体質は相変わらずだった。

69年5月には、英国の映画製作者リチャード・グレグスンと再婚。二人の間には娘のナターシャが授けられ、女優活動を半休業状態とするも、別居生活を経て72年に離婚。ナタリーはグレグスンとの離婚調停中にロバート・ワグナーとよりを戻し、同年の7月には彼と2度目の結婚をしている。

74年3月にはワグナーとの娘であるコートニーを出産。そのあとは主にテレビ映画で女優業を続けた。

 

疑われた事故死

1981年11月29日、SF映画『ブレインストーム』の撮影中だったナタリー・ウッドの水死体が、カルフォルニアロングビーチの沖合にあるサンタカリナ島から1.5㎞離れた海上で発見された。

ナタリーは感謝祭の週末を利用し、プライベートヨットの「スプレンダー号」でサンタカリナ島の沿岸に停泊。島に上がっての食事会を楽しんでいた。このとき一緒に食事をしたのは、ナタリーと夫のワグナー。そして『ブレインストーム』の共演者であるクリストファー・ウォーケンと、「スプレンダー号」の若き船長デニス・デヴァーンの4名だった。

だが夜の食事会を終えてヨットに戻ったあと、しばらくしてナタリーの姿は忽然と船上から消え去っていた。そして翌日、太平洋上に浮かぶ彼女の遺体が発見されたのである。

検視解剖を担当したロサンゼルス警察の主任検視官トーマス・ノグチは、ナタリーの死因を「偶発的な事故による溺死」と発表。遺体から高濃度のアルコールや鎮静剤などの薬物が検出されたことにより、ヨット際で誤って足を滑らせ、海へ落ちたと判断されたのだ。

しかし体に残された複数の打撲や、周りの男たちがナタリーの行方不明に気づくのが遅すぎるなど、いくつかの不明な点も指摘されて殺人事件の疑いが噂された。

 

船長の新証言

ナタリーの死から30年を経た2011年11月、「スプレンダー号」の船長デヴァーンから新たな証言を得られたとして、ロス警察は再捜査を開始。翌12年には検視報告書が改訂され、死因は「事故死」から「不審死」へと変更された。

デヴァーンの証言によれば、ナタリーは食事会中にC・ウォーケンと終始いちゃつき、夫ワグナーへ見せつけるようしていたという。実はこの頃ナタリーは友人に「離婚」の言葉を漏らしており、夫婦仲は決して良くなかったと言われている。

そして4人がヨットに戻ると、ワグナーはワインボトルを叩き割って感情を爆発。これをきっかけに夫婦間で激しい口論がかわされ、ばつの悪くなったウォーケンは、ヨットの自室に逃げて閉じこもった。いつまでも続く喧嘩にデヴァーンが仲裁に入るも、ワグナーから「出ていけ!」と一喝されてしまう。

このあと自室に引きこもったナタリーは、しばらくして船内から行方不明となった。彼女の生前の姿を最後に見たのは、夫のワグナーだった。夜遅くまで酒を飲んでいたワグナーは、デヴァーンに妻が見当たらないと報告。船長はナタリーの捜索を申し出るが、ワグナーは「何もしなくていい。無線で助けを求める必要もない」と、心配する素振りさえ見せなかった。

このことはデヴァーンもウォーケンも他人に口外することなく、事の真相は長年にわたって封印されていた。しかし、とあるマスコミがデヴァーンへしつこく取材を行ない、引き出された新証言が警察の耳に届いたのである。

事件の捜査が急展開を見せると、それまで沈黙を保っていたウォーケンは弁護士を立てて自らの潔白を証明。18年2月には新たな目撃証言が得られたことから、元夫に重要参考人としての取り調べ請求が行なわれるが、死因に関与していないと全面否定するワグナーは召喚を拒否する。

そして92歳となった現在もワグナーは口をつむぎ、事件の真相は疑惑の奥に隠れたままである。