「バルセロナの変革者」
74年のW杯優勝は逃してしまったクライフだが、バルセロナのリーグ優勝に貢献した活躍とあわせて、2年連続3度目のバロンドールに輝く。これは、あのベッケンバウアーを抑えての受賞となった。
74-75シーズン、クライフの進言によりヨハン・ニースケンスがバルセロナに入団。しかしリーガ・エスパニョーラ優勝をライバルのレアル・マドリードに明け渡してしまい、バルサはリーグ3位。リヌス・ミケルス監督は解任されてしまう。
75-76シーズン、西ドイツの名将へネス・バイスバイラーがバルサの新監督に就任。しかしチームの絶対的存在となっていたクライフが、「彼とはうまくいかない。契約が終了したらオランダに戻る」と発言したことから騒動となり、バイスバイラーは1年で監督を辞任。バルサはまたもリーグ優勝を逃す。
バイスバイラーを追い出したクライフはクラブを説得、ミケルス監督を呼び戻すことに成功する。76-77シーズン、クライフは移籍1年目以来の2ケタ得点を記録(30試合14得点)するが、優勝したアトレティコ・マドリードに1ポイント及ばず、3年連続でリーグタイトルに届かなかった。
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