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サッカーの歴史や人物について

サッカー日本代表史 11. 決戦!ジョホールバル

 
ドーハ組、中山と高木の復帰

ソウルで行なわれた韓国の勝利で、日本にW杯出場への道が開かれた。しかしFWの三浦知良呂比須ワグナーが警告を受け、揃って最終戦では出場停止となってしまった。そこで岡田武史監督は、ドーハ組の中山雅史高木琢也を代表に招集する。高木は最終予選直前まで代表メンバーだったが、中山は2年半ぶりの代表復帰だった。

 

97年11月8日、日本の最終戦はホーム国立競技場にカザフスタンを迎え行なわれた。カザフスタンとは約1ヶ月前アルトマイで戦い、試合終了直前に同点とされている。その結果、加茂周監督が解任となったという因縁の相手であった。5万6千の大観衆が見つめる中、日本は中山と城彰二をツートップに置き、試合は始まった。

 

開始11分、セットプレーから秋田豊の強烈なヘディングが決まり、日本は早くも先制点を挙げる。その4分後には中田英寿が追加点を入れ、前半終了直前にも中山のヘディングによるゴールが生まれた。

 

67分に井原正巳が追加点を挙げるが、73分にはフリーキックカザフスタンに1点返される。それでも79分には中山と交代した高木がダメ押し点を決め、日本が5-1と危なげなく勝利を収める。

 

こうしてB組の全日程を終え2位を確定した日本代表は、いよいよW杯出場を懸けA組2とのアジア第3代表決定戦に臨むこととなった。

 
フランスW杯アジア最終予選、第三代表決定戦

A組は1位を争うサウジアラビアとイランの勝負がもつれ、この時点ではまだ日本の対戦相手は決まっていなかった。代表決定戦を行なう開催地は、それぞれどの国が2位になるかで流動的な状態だった。

いったん中東バーレーンでの開催が決まりかけたが、それでは中立地にならないと日本はアジアサッカー連盟に交渉をする。結局カザフスタン戦の前日11月7日に、東南アジア・マレーシアのジョホールバルで第3代表決定戦を行なうことが決まった。

決定戦が行なわれるのは11月16日。日本はマレーシアまで直行便を飛ばし、10日に現地入りをして調整を行なった。一方A組の順位が決まったのは11月12日、サウジアラビアが1位となり、日本との決定戦に臨むことになったのはイランだった。イランはマレーシアの直行便が確保できず、ドバイや香港を経由して現地入り出来たのは、試合の2日前だった。

イランは攻守の中心であるカリム・バゲリこそ警告累計で出場停止となっていたが、4年前のドーハでも日本を苦しめたアジアNo,1ストライカアリ・ダエイや前年のアジア最優秀選手コダダド・アジジ、突破力を誇る新鋭メフディ・マハダビキアなど、タレント豊富な攻撃力に優れたチームだった。

日本は多少有利な状況にあったが、油断できない相手に岡田監督は「もし負けたら、2年はマレーシアで暮らすことになるかもしれないな」と冗談交じりに言いながら、気を引き締めた。

試合前日の練習でアジジが右膝を負傷、足に包帯を巻いたまま車椅子でグラウンドの外へ運ばれていく。しかしイランの練習を偵察していた日本のスタッフは、それが敵を欺こうとする陽動作戦であることを見抜いた。イランはかなり追い込まれており、小細工を労してきたのだ。

1997年11月16日、試合が行なわれたのはマレーシア・ジョホールバルのランキンスタジアムだった。日本はセンターサークルを挟み、フランスW杯アジア第3代表を決めるべくイラクチームと向き合った。予想通りイラン選手の中には、アジジの元気な姿もあった。

日本はツートップにカズと中山、中盤には中田、北沢豪名波浩、ワンボランチ山口素弘、4バックを形成するのが井原、秋田、名良橋晃相馬直樹、そして川口能活がゴールを守るという布陣だった。

たとえこの試合に敗れたとしても、オセアニア地区1位のオーストラリアとの大陸間プレーオフにより、W杯出場の可能性は残されていた。だがそうなった場合、ホーム&アウェイでさらに2試合を戦うことになる。両チームとも、難敵オーストラリア相手に試合を続けるつもりはなかった。

 

イラン戦、ジョホールバルの死闘

スタジアムは2万を越える日本人サポーターで埋められ、日本チームに大きな声援が送られていた。現地時間の21時3分、スペインのディアス・ベガ主審により試合開始のホイッスルが吹かれる。

開始直後日本は相手陣営に攻め込み、イラン選手のクリアミスによりオウンゴールとなったかに見えた。しかしそれがオフサイドとしてゴールが取り消されると、イランが反撃。日本はやや押され気味になる。

9分にアジジが川口をかわしゴールに突進するも、シュートはポスト右に外れる。28分、またもやアジジが強烈なシュートを放つが、川口が正面で抑える。そして37分にはマハダビキアが右ポスト直撃のシュートを打ち、日本をヒヤリとさせた。

その直後のプレーだった。川口のゴールキックを日本が拾い、ボールが中田に渡ると、素早くディフェンス裏にパスが出された。それに反応した中山がシュート。ボールはGKアベドザデーの脇を抜け、先制のゴールが決まった。

中山が観客席に向け雄叫びを上げると、サポーターから大きな歓声が湧き上がる。そのすぐあとイランがフリーキックを得てダエイが弾丸シュートを打つが、川口が落ち着いて処理し、前半は終了した。

ハーフタイムが終わり、グラウンドに戻った日本選手たちは円陣を組んだ。中山が祈るように両手を合わせ、センターサークルでホイッスルを待つ。後半の立ち上がり間もなく、イランの放り込んだボールが流れ井原がキープしようとするもミス。マハダビキアにボールを奪われ、ゴール前への突破を許してしまう。

日本はすぐにマハダビキアを囲むが、ボールは後方のダエイに送られ、ダイレクトシュートが放たれる。川口が飛びつき寸前でシュートを弾くも、詰めていたアジジにボールを押し込まれ同点てしまった。

同点とされた日本だが、慌てることなく反撃を開始。7分にはイランゴール正面の位置にセットプレーのチャンスを得る。ボールの後方に立つのはカズと名波。名波が蹴ろうとした時、先にカズがボールをキックした。

しかしカズの蹴ったフリーキックは、変化することなくそのままゴールの上を越えていく。そのあたりから呂比須と城にアップが命じられ、ベンチの動きも慌ただしくなってきた。

勝負はVゴール延長戦へ

しばらく一進一退の状況が続くも、59分には右サイドのマハダビキアからゴール前のダエイにクロスが送られる。ダエイが日本DFの身体ひとつ高くジャンプしヘディングすると、ボールは鋭くゴールネットへ突き刺ささった。

抱き合って喜ぶイラン選手に対し、日本選手はがっくり肩を落とす。すぐさま岡田監督は呂比須と城を呼び、交代に備えての指示を伝えた。

63分、予備審判が日本の交代選手のボードを掲げ、中山とカズの番号が示された。カズは退くのは自分かとベンチに確認。こういった接戦で、今までカズに交代が告げられたことが無かったからである。この交代でゲームの流れは日本に傾き、反対にイランの動きは重くなっていった。

日本のチャンスが続いた75分、中田が左サイド後方よりゴール前へロングパスを送った。そこへ城が走り込みながらバックヘッド、アべドザデーの牙城を破る日本の同点ゴールが決まった。再び日本サポーターから歓声が上がり、勢いを得た日本は一気の逆転を目指して攻勢をかける。

39分、城が相手ペナルティーエリアで倒されるが、笛は吹かれなかった。それからも日本の優勢は続くも、チャンスを決めきれずに2-2の同点のまま90分が終了。ここからはVゴール方式の延長戦に入ることになった。

野人・岡野雅行のプレッシャー

選手がスタッフのマッサージを受けている間、岡田監督はピッチ横でせわしなく身体を動かしながら考えていた。そして「野人」岡野雅行を呼び、北澤との交代を告げる。

岡野はこれまで、最終予選で一度も出場の機会を与えられていなかった。ある日ふて腐れた岡野が、監督に使われない理由を尋ねた。「お前は秘密兵器だ。使っちゃったら秘密にならないだろう」岡田はそう答えた。

イラン選手の足が止まった今こそ、足の速い岡野の出番だった。中田は岡野の投入を待ち望んでいた。たとえ出足が遅れても、岡野なら中田のパスに追いついてくれると考えたのだ。だがこの重要な場面での起用に、岡野には強いプレッシャーが掛かっていた。日本チームは選手とベンチスタッフ全員で円陣を組み、気合いを入れ直した。

延長開始直後、さっそく中田は岡野へパスを送った。岡野はDFを振り切り、アべドザデーと1対1となるが、シュートを防がれる。その岡野が天を仰いでいる横で、ぶつかった訳でもないアベドザデーがのたうち回っていた。

疲れて動けなくなってきた自チーム選手を休ませるための芝居だったが、狡猾なキーパーは、その後もあからさまな時間稼ぎに出る。

延長13分再び中田のパスから岡野にチャンスが生まれ、またもやキーパーと1対1の場面が訪れる。しかし岡野の選択は、走り込んできた中田への横パスだった。そのパスは相手DFに防がれ、絶好のチャンスを逃したことで岡田監督は頭を抱えた。岡田は岡野に向かって「自分で打て」と叫んだが、自信を失っていた野人はうつむくだけだった。

アベドザデーが再三遅延行為を繰り返したことで、日本にゴール近くからの間接フリーキックが与えられる。そのチャンスは活かせなかったが、すぐあとキーパーの弾いた球が岡野の前にこぼれてきた。しかし岡野はボールを吹かし、3度目のチャンスも潰して延長前半は終了した。

歓喜のワールドカップ出場決定

延長後半、足の止まったイランは前線に選手が上がれなくなり、攻め手を失う。その延長後半5分、ショートコーナーから中田がゴール前へパスを送ると、城がキーパーと衝突。そのアクシデントで、ポストに転んだアベドザデーは左脇腹を痛打。かたや城は、脳震盪で立ち上がれなくなってしまう。

アベドザデーに応急手当が施され、数分後にようやく立ち上がるが、左脇腹を痛めたようなジェスチャーを見せる。しかし狡猾に振る舞ってきたアベドザデーだけに、必要以上に痛がっているようにも見えた。

頭を強打した城も立ち上がったが、その後は意識朦朧の状態でプレーを続けた。延長後半12分、イランに最後のチャンスが訪れる。マハダビキアが最後の力を振り絞り、右サイドを駆け上がった。そして日本ゴール前に渾身のセンタリングを送ると、そこにはダエイが走り込んでいた。

ダエイは日本DFをかわしシュート、ゴールが決まったかに見えた。しかし疲労困憊のダエイはボールを浮かしてしまい、日本は絶体絶命のピンチを逃れる。

日本はすぐさま反撃を開始、呂比須がイランからボールを奪い中田へ預けた。中田はそのままイランゴールに向かい、ドリブルでゴール前に迫ると、アベドザデーの左脇腹方向を狙ってシュートを放つ。

アベドザデーは咄嗟に反応してシュートを弾くが、こぼれ球を予測していた岡野が猛然とスライディング、決勝のゴールをネットへ押し込んだ。

Vゴールが決まって試合は終了、両手を上げて喜ぶ岡野に皆が駆け寄った。終了時間は23時35分。日本はイランとの死闘を3-2で制し、ついにワールドカップ初出場を決めたのだ。