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サッカーの歴史や人物について

《サッカー人物伝》ギオルゴス・カラグーニス(ギリシャ)

 

「現代のギリシャ神話」

抜群のスタミナとスピードを備え、中盤をエネルギッシュに走り回ったセントラルMF。正確なキックと果敢なドリブルで攻撃をリードするだけでなく、精力的な働きで守備をカバー。ギリシャ堅守速攻戦術の要となり、母国に新たな神話をもたらしたのが、ギオルゴス・カラグーニス( Giorgios Karagounis )だ。

 

ギリシャの名門パナシナイコスで頭角を現し、03年にイタリアの強豪インテル・ミラノと契約。ここでは出場機会に恵まれなかったが、その後移籍したベンフィカでは同郷のカツラニスとともに活躍。07年に復帰したパナシナイコスでも、リーグ制覇とギリシャカップ優勝に貢献する。

 

ギリシャ代表の中心選手として長らく活躍。ユーロ04大会では闘志あふれるプレーでチームを鼓舞し、大番狂わせを起こして母国を初優勝の快挙に導く。そのあと10番を背負って2度のユーロと2度のW杯に出場。14年W杯では同国初となる決勝トーナメント進出に貢献した。代表では139試合の歴代最多出場記録を持つ。

 

パナシナイコス期待の星

カラグーニスは1977年3月6日、ペロポネソス半島西部にあるピルゴス市近郊の村に、ぶどう園を営む農家の一人っ子として生まれた。

12歳のとき、かつて父親も所属していた地元クラブのパリニアコスFCに入団。ここでコーチを務めていたアルゼンチン出身のファン・ラモン・ロシャに才能を見いだされ、アテネの名門クラブであるパナシナイコスFCのアカデミーで学ぶことを勧められる。

カラグーニスの両親は、一人息子である彼を遠くへやることには反対だったが、本人の強い意志に折れて一家でアテネへ移住。母親が観光地のレストランで働くなど家計を支え、息子をパナシナイコスのアカデミーへ通わせた。

カラグーニスは両親の期待に応えて練習に励み、18歳となった95年にクラブとプロ契約。翌96年には、経験を積むため同じアテネアポロン・スミルニFCへレンタルされる。そして96年8月のイオニコス戦でアルファ・エスキニ(現ギリシャ・スーパーリーグ)デビュー。攻撃的MFとして2シーズンで55試合9ゴールの実績を残し、98年夏にはパナシナイコスへ復帰する。

復帰1年目の98-99シーズンは、主にスーパーサブとして起用され24試合6ゴールの成績。翌99-00シーズンに旧知のラモン・ロシャが監督に就任すると、中盤左のレギュラーに定着して27試合9ゴールの活躍。パナシナイコス期待の星となった。

00-01シーズンのチャンピオンズリーグでは、セカンドステージで敗れるまでの全12試合に出場。正確で強いキックを持つカラグーニスは、プレースキッカーを任され、アウェーのマンチェスター・ユナイテッド戦では直接FKでのゴールを記録。翌01-02シーズンのCLも、ファーストステージのアーセナル戦で決勝点となるFKを決めるなど、ベスト8進出に貢献する。

02-03シーズンはUEFAカップ(現EL)でベスト8。だが当時黄金期を誇っていたライバルのオリンピアコスに阻まれ、国内タイトルを手にすることは出来なかった。それでもその安定した活躍が認められ、契約満了となった03年の夏、ビッグクラブであるインテル・ミラノへの移籍が決まる。

 

レーハーゲルギリシャ代表

98年のU-21欧州選手権に出場したカラグーニスは、キャプテンとしてチームを引っ張りU-21ギリシャ代表の準優勝に貢献。準々決勝ではバラックとクローゼを擁するドイツと対戦し、カラグーニスのゴールで1-0の勝利を収めている。

翌99年8月には22歳でA代表に初招集。親善試合のエルサルバドル戦にフル出場し、代表デビューを飾った。その後代表に定着し、00年9月から始まったW杯欧州予選に参加するも、チームは早々と予選敗退が決定してしまう。

ギリシャはこれまでW杯と欧州選手権に1度ずつの出場経験があったが、いずれも勝利のないまま敗退。国内リーグこそ熱狂的だが、代表の国際大会ではほとんど実績がないという弱小国だった。低迷続く代表強化のため、01年8月にはドイツからオットー・レーハーゲル監督が招聘される。

レーハーゲル監督の初采配は、W杯予選の消化試合となった9月のフィンランド戦。試合は1-5の大敗を喫するが、チーム唯一の得点を挙げたのはカラグーニス。これが彼の代表初ゴールとなった。

強化を託されたレーハーゲル監督は「キング・オットー」と呼ばれる強烈な個性と、経験豊富な手腕でチームを掌握。マイペースでのんびり気質のギリシャ人たちに国を背負う自覚を促し、チームで戦う意識と組織的戦術を叩き込んだ。

その戦術は、マンツーマンの守備で敵の攻撃を封じ込め、相手の隙やミスを突いて速攻を仕掛けるシンプルなもの。ロングボールやハイクロスを多用した華やかさのない古典的戦術だったが、これがギリシャのスタイルにハマった。

すると02年9月から始まったユーロ予選では、8戦6勝2敗の好成績。予選の8試合でわずか4失点と自慢の堅守を見せつけ、強豪スペインを抑えての1位突破。24年ぶりとなるユーロ本大会出場を決める。

 

ラクギリシャ

04年6月、ユーロ04大会が開幕。開幕戦となった初戦の相手は、開催国のポルトガルだった。立ち上がり硬さの目立つホストチームに、ギリシャが序盤から攻勢をかける。開始7分には相手DFのミスパスを奪ったカラグーニスが中央を突破し、ミドルシュートを決めての先制点。地元サポーターで埋まったスタンドを啞然とさせた。

大会前に右足中指を痛めていたカラグーニスは、大事をとって前半で交代。代わって投入されたのが、このあと中盤で長くコンビを組むことになるコスタス・カツラニスだった。

1-0で折り返した後半の51分、FWカリステアスクリスティアーノ・ロナウドのバックチャージを受けてPKを獲得。これをバナシスが冷静に沈め、リードを2点に広げる。後半ロスタイムにフィーゴのCKからC・ロナウドに1点を返されるも、固く逃げ切って2-1の勝利。ノーマークだった弱小国が開幕戦で波乱を起こした。

第2戦も強敵のスペインが相手。前半28分、DFの不用意なバックパスをラウルに奪われ、そこからモリエンテスに決められて失点。だが初戦の勝利で自信を深めたギリシャはひるむことなく、反転攻勢に出た後半の66分、ツァルタスのクロスからカリステアスが同点弾。

その後スペインにボールを支配されながらも要所を引き締め、残り時間で決定的なチャンスを作らせずに1-1の引き分け。最終戦を残した時点でポルトガルとスペインの2強を抑えて首位となり、グループ突破が目前となった。

最終節はすでに敗退が決まっていたロシアとの対戦。累積警告によりカラグーニスは出場停止となっていた。中盤の要を欠いたギリシャはプレッシャーもあって動きは悪く、前半の2分、17分と立て続けに失点を喫する。

グループ突破に暗雲が漂うも、前半終了直前の43分にブリーザスが貴重なゴール。試合は1-2と敗れてスペインに勝点・得失点差で並ぶが、総得点で上回っての2位を確保。国際大会で初となる決勝トーナメント進出を決めた。

 

ギリシャの新しき神話

準々決勝の相手は前回王者のフランス。ギリシャはマンツーマンによる守備を徹底し、ジダンやアンリを粘り強く封じた。攻撃では衰えの見えるフランスDFに襲いかかり、前半15分にはカラグーニスのFKからカツラニスがあわやのシュート。GKバルデスの好セーブに阻まれるも、試合はギリシャの思惑通りに進んだ。

そして後半の65分、ザゴラキスのクロスからカリステアスが決勝点。残り時間を落ち着いて対処し、1-0の勝利を収める。開幕戦に続くジャイアントキリングで選手たちは気勢を上げ、移動のバスには「古代ギリシャには12の神々がいた。今は11の神々がいる」のフレーズが掲げられた。

準決勝は大会随一の攻撃力で無敵の快進撃を続けるチェコとの戦い。開始3分にロシツキーのシュートがバーを叩くなど、試合は序盤から猛攻を仕掛けるチェコのペースとなった。だが40分にカツラニスと交錯したネドベドが負傷退場し、大黒柱を失ったチェコの勢いは次第に削がれていく。

後半ギリシャカラグーニスの正確なキックと果敢な突破で相手ゴールへ迫るが、得点には結びつかず0-0で延長戦に突入する。その延長前半のロスタイム、ツァルタスの右CKにデロスが頭で叩き込んで決勝点。劇的勝利でギリシャが決勝へ勝ち上がる。

だが攻撃の核となったカラグーニスがフランス戦に続くイエローカード。またも累積警告で決勝戦は出られなくなってしまう。彼のファールを恐れない積極果敢なプレーは、カードと隣り合わせのものだった。

決勝は開幕戦を戦ったポルトガルとの再びの顔合わせ。持ち味の堅守で相手の攻撃を跳ね返し続けると、後半57分に右CKからカリステアスが先制弾。数少ないチャンスをモノにした。このあとポルトガルの反撃を鉄壁のディフェンスで阻止。開催国を1-0と下し、伏兵ギリシャが奇跡の初優勝を成し遂げた。

 

ベンフィカでの活躍

インテル・ミラノでは分厚い選手層の壁に阻まれ、主にカップ要員としての起用に終始。移籍2年目はコッパ・イタリア優勝に貢献するも、05年の夏にインテルを退団となった。

フリーの身でオファーを待つカラグーニスは、移籍期限が迫った8月末、ポルトガルSLベンフィカとの3年契約が決まる。

ベンフィカでは背番号10を与えられるも、チームへの適応に苦しみ、05-06シーズンは19試合1ゴールの成績に終わってしまう。だが翌06-07シーズン、パナシナイコス時代に指導を受けたポルトガル人のフェルナンド・サントスが新監督に就任すると、カラグーニスは「恩師」と慕う彼のもとで輝きを取り戻す。

こうしてレギュラーに定着したカラグーニスは、ルイ・コスタや新加入した同郷のカツラニスとともに中盤を形成し、リーグ3位とUEFAカップ(現EL)ベスト4に貢献。鮮やかなFKを決めるなど強い印象を残して、その実力を証明した。

しかし個人的な問題(家族がストレスで帰国を強く希望)から、1年を残してやむなくクラブとの契約を解除。古巣のパナシナイコスへ戻ることになった。

 

W杯の初勝利

ギリシャはユーロ優勝の勢いを得て、直後に始まったW杯欧州予選も難なく突破すると思われたが、大混戦となったグループで4位に沈み敗退。06年W杯への出場を逃し、地力のなさを露呈してしまう。

ユーロ08(オーストリア/スイス共催)には無事2大会連続の出場を果すが、前回王者がG/L全敗で敗退。レーハーゲル監督の神通力も綻びを生じ始めていた。

それでも08年9月から始まったW杯欧州予選では、キャプテンとなったカラグーニスがチームを引っ張り復調。スイスに1ポイント及ばず2位となってしまったが、プレーオフを勝ち抜いて4大会ぶりとなるW杯出場を決める。

10年6月、Wカップ南アフリカ大会が開幕。しかし最初の韓国戦を0-2と落とし、出足で躓いてしまう。続く第2戦はナイジェリアと対戦。開始16分、相手のセットプレーから不用意なゴールを許し失点。ギリシャの堅く守っての速攻というゲームプランは、早くも崩れてしまった。

だが前半33分、ナイジェリアのMFカイタがラフプレーで一発退場。ここから攻勢を仕掛けたギリシャは、44分にカツラニスポストプレーからサルピンキディスが同点弾。これがギリシャのW杯初得点となった。

さらに後半71分、カラグーニスのクロスからトロシディスの逆転弾が生まれ2-1の勝利。ギリシャはW杯5戦目にしての初白星を手に入れる。

最終節は強豪アルゼンチンに0-2と敗れてグループ3位での敗退。ギリシャが目標とする決勝トーナメント進出は、次回以降に持ち越された。

 

再びの奇跡ならず

W杯敗退後、10年間ギリシャの指揮官を務めたレーハーゲルが退任。その後任として代表監督を引き継いだのが、カラグーニスの「恩師」であるフェルナンド・サントスだった。サントス監督は伝統の堅守速攻を継承しつつ、中盤のパスワークと縦への突破に磨きをかけた。

こうして10年9月から始まったユーロ予選をグループ首位で通過し、12年6月開催のユーロ本大会(ポーランド/ウクライナ共催)に出場。

初戦で地元のポーランドと1-1で引き分けるも、続くチェコ戦は1-2の敗戦。最終節のロシア戦では堅く守ってチャンスを窺い、後半アディショナルタイムに相手のミスからカラグーニスが値千金の決勝弾。グループ2位で2大会ぶりとなるベスト8に進む。

殊勲のゴールを挙げたカラグーニスだが、累積2枚目のイエローカードを受けて次戦は出場停止。代役としてカツラニスがキャプテンとトップ下を務めるが、準々決勝では強豪ドイツに2-4の完敗。再びの奇跡は起こらなかった。

 

パナシナイコスからフラムへ

パナシナイコスへ復帰したカラグーニスは、チームの中心的存在として活躍。08-09シーズンは公式戦35試合10ゴールの好成績を残し、スーパーリーグ制覇とギリシャカップ優勝の2冠達成に大きく貢献する。

パナシナイコスではキャプテンとして5シーズンを過ごし、契約満了でフリーとなった12年の夏、イングランドフラムFCと1年契約。同年9月のマンチェスター・シティー戦でプレミアリーグデビューを飾る。

そして35歳ながら公式戦28試合2ゴールと期待以上の成績を残し、シーズン終了後に契約を更新。だがフラムは13-14シーズンのリーグ19位に沈み、プレミアリーグから降格。カラグーニスは多くの選手とともにチームを去ることとなった。

 

大逆転での決勝トーナメント進出

ギリシャはW杯欧州予選をプレーオフで突破し、14年6月開幕のWカップ・ブラジル大会に出場。すでに37歳の大ベテランとなっていたカラグーニスは、ピンチの場面に備える切り札としてベンチで出番を待った。

初戦はコロンビアに自慢の堅守を崩され、0-3の惨敗。後半78分から登場したカラグーニスも、流れを変えようがなかった。

立て直しを図る第2戦の相手は日本。試合は序盤から日本に主導権を奪われ、本田圭祐や大迫勇也のシュートを許すなど再三のピンチ。ギリシャの耐える時間が続いた。

前半の35分には、エースFWのミトログリが接触プレーで負傷交代。さらに直後の38分、カツラニス長谷部誠に対するファールでこの日2枚目のイエローカード。主力の二人を失ったうえ、数的劣勢を強いられたギリシャは苦境に立たされる。

その41分、サントス監督は準備の終えたカラグーニスを投入。布陣を4-3-3から4-4-1へとシフトし、守備を固めてセットプレーでのチャンスを狙った。後半60分にはカラグーニスの右CKからあわやのシュートが生まれるが、川島永嗣の好セーブに阻まれてしまう。

それでもギリシャは日本の猛攻をことごとく跳ね返し、0-0と引き分けて勝点1を獲得。グループ敗退の瀬戸際からどうにか踏みとどまった。

ベスト16を懸けた最終節はコートジボワールとの戦い。カツラニスに代わって初の先発出場となったカラグーニスは、キャプテンマークを巻いてボランチの位置に入った。

前半で2人が負傷交代するなどアクシデントに見舞われたギリシャだが、42分に相手のミスを突いて先制点。このまま逃げ切りを図るも、後半74分に一瞬の隙から失点。引き分けでも2位突破となるコートジボワールは守備固めに入った。

ギリシャはチャンスを作るも決めきれず、敗退濃厚となった後半のアディショナルタイム。左からのクロスにFWサマラスが倒されPKを獲得。これをサマラス自身が沈め、土壇場での決勝点。大逆転劇を演じたギリシャが、3度目のW杯で初となる決勝トーナメント進出を決める。

 

最後の試合

トーナメントの1回戦もコスタリカを相手に苦戦を強いられるが、0-1のビハインドで迎えた後半アディショナルタイム、パワープレーからDFパパスタソプロスが起死回生の同点弾。試合は延長の前後半を終了しても決着とならず、勝負はPK戦へともつれる。

双方4人ずつが成功させたあとギリシャの5人目、ケガスのキックを名手ケイラー・ナバスがストップ。このあとコスタリカ5人目にPKを決められ、ギリシャの敗退が決定。カラグーニスは最後となった試合で120分をフル出場した。

W杯終了後の14年9月、無所属のまま現役引退を発表。16年に及ぶ代表歴で同国歴代最多となる139試合に出場、10ゴールの記録を残した。

現在はフリーの身でサッカーに関わる活動をしているが、スタッフとしてのパナシナイコス復帰も噂されている。