18年7月26日、W杯ロシア大会で日本代表を率いた西野朗の後任として、森保一の代表監督就任が発表された。独善的な指導でチームが空中分解しかけたハリルホジッチ時代の反省を踏まえ、それまでの外国人監督路線を一旦封印。選手との対話を重視する森保監督に今後の代表を託したのである。
森保新監督は前年から若い代表チームも指揮しており、東京五輪代表と兼任でA代表監督の重責を担うことになった。
同年8月からはインドネシアで開催されたアジア競技大会のサッカー競技が始まり、日本は2年後の東京五輪を見据えたU-21チームで参戦。優勝した10年中国大会以来となる3度目の決勝へ進むが、韓国に延長戦で1-2と敗れて準優勝。この時のメンバーには、三笘薫、前田大然、上田綺世、板倉滉、旗手怜央らがいた。
A代表を率いる森保ジャパンの初陣となったのが、9月11日に行なわれた親善試合のコスタリカ戦。試合は南野拓実、伊東純也のゴールなどで3-0の快勝。他にも中島翔哉や堂安律の新戦力が活躍を見せる。
森保ジャパンは年内に5つの親善試合を行ない、強豪ウルグアイ戦での勝利を含む4勝1分の好成績。2列目で躍動する南野、中島、堂安の3人は、日本代表の「新・BIG3」と呼ばれて注目を浴びた。
年明けの19年1月5日、森保ジャパン最初の試金石となるアジアカップUAE大会が開幕。G/L初戦のトルクメニスタン戦は、10番の中島を怪我で欠いて苦戦するも、大迫勇也の2ゴールと堂安の得点で3-2の勝利。続くオマーン戦は原口元気のゴールで1-0と辛勝し、第3戦は主力を温存しながらウズベキスタンに2-1。3戦全勝の1位で決勝トーナメントへ勝ち上がった。
トーナメントの1回戦は中東の雄、サウジアラビアと対戦。酷暑の試合で選手たちの動きは重かったが、前半20分に柴崎岳のCKから20歳の冨安健洋が代表初ゴール。日本は猛暑のコンディションに苦しむ中、虎の子の1点を守り切ってベスト8に進んだ。
準々決勝のベトナム戦も、軽率なミスが目立つなどパフォーマンスは低調。若く運動量の多い相手に苦戦を強いられるが、堂安がPKを決めてどうにか1-0の勝利を収める。
準決勝では強豪イランと対戦。アジア最強と呼ばれる相手に日本の劣勢が予想されたが、集中したプレーで前半を0-0で折り返す。そして後半に入った56分、大迫のパスを受けた南野が左サイドを突破。Pエリアに侵入しかけたところでDFと交錯し転倒すると、数人のイラン選手が主審に駆け寄りダイブをアピールする。
だがこのとき試合を止める笛は吹かれておらず、すかさず立ち上がった南野はプレーを続行。イランの不用意を突いてフリーとなった大迫へクロスを送り、そこから先制点が生まれた。
67分には大迫がPKを沈めて追加点。アディショナルタイムにも原口のダメ押し点が決まり、3-0の快勝。相手エースのアズムンは冨安の安定した守備で封じ、ボランチの遠藤航も好守に渡る活躍で勝利に貢献。会心のベストゲームで5度目の決勝進出となった。
決勝の相手は22年W杯のホスト国であるカタール。自国開催のW杯に備え強化を進めるカタールは、ここまでの6試合で無失点の堅実さ。格下ながら手強い相手だった。
中盤の要である遠藤を怪我で欠いた日本は、カタールの分厚い守りと組織だった動きに苦戦。前半の12分には、FWアリのバイスクルシュートで先制されてしまう。さらに27分、DFの寄せが甘くなり2失点目。69分に南野のゴールで1点を返すも、83分にはキャプテンの吉田麻也がハンドを取られてPKを献上。日本は1-3の完敗を喫し、2大会ぶりの優勝はならなかった。
アジア大会準優勝の半年後となる6月、ブラジル開催のコパ・アメリカ(南米選手権)に招待参加。ゲストとして招かれた日本に選手の拘束力はなく、フル代表デビューしたばかりの久保建英ら東京五輪世代の若手中心でチームを編成。A代表クラスでは川島永嗣、植田直通、冨安、柴崎、中島らに加え、ベテランFWの岡崎慎司もメンバーに選ばれた。
G/Lの初戦は大会3連覇を狙うチリと対戦。日本はGK大迫敬介、DF杉岡大樹、原輝綺、MF中山雄太、FW前田、上田と、A代表デビューの6人が先発に名を連ねるフレッシュな顔ぶれ。前半こそ強豪に食らいつくも、結局0-4と力負けしてしまう。
第2戦の相手はスアレス、カバーニの2枚看板を擁するウルグアイ。日本はチリ戦から先発6人を入れ替え、DF板倉と岩田智輝がA代表デビューを果した。
前半25分、A代表初先発の三好康児が右サイドをドリブル突破。PエリアでDFをかわして鮮やかな先制点を叩き込む。32分にスアレスのPKで追いつかれるも、後半58分に再び三好がクロスのこぼれ球に詰めて勝ち越し点。65分に再び追いつかれて2-2と引き分けるが、日本は善戦を見せて勝点1を獲得した。
グループ突破の可能性を残す最終節のエクアドル戦は、前半16分に中島がゴールを決めて日本が先制。だが34分に追いつかれ、ゲームは同点のまま終盤戦を迎える。
そして終了直前のアディショナルタイム、中島のシュートのこぼれ球を久保が押し込み決勝点。かと思えたが、VAR判定によりオフサイドがあったとしてノーゴール。結局試合は1-1と引き分け、日本はグループ3位で大会を終えた。
このコパ・アメリカの直前に行なわれていたのが、若手発掘を目的としたフランス開催のトゥーロン国際大会。日本はコパ・アメリカ参加組を除くU-22代表で大会に臨んだ。G/Lはポルトガル、チリ、イングランドといった強敵を抑えて1位突破。準決勝では難敵メキシコをPK戦で下し、決勝へと進む。
決勝は強豪ブラジルと対戦。日本は前半19分に先制されるも、粘り強く食い下がって39分に小川航基のゴールで同点。延長なしのPK戦に持ち込む。PK戦では惜しくも4-5で優勝を逃すが、世界に通用する実力を証明。三笘、旗手、田中碧、相馬勇紀らが準優勝に貢献した。
9月からはW杯アジア第2次予選が始まり、日本は余裕のグループ首位独走。フランクフルトの鎌田大地がモンゴル戦で代表初ゴールを決めるなど、新戦力も現れた。
10月に行なわれたU-22代表・南米遠征では、U-22ブラジル代表を田中碧2ゴール1アシストの活躍で3-2と撃破。東京五輪世代が着実な成長を見せていた。
このあと親善試合のベネズエラ戦、E-1選手権の3試合、U-22ジャマイカ代表との強化試合を終え、年内の日程は終了。オリンピックイヤーとなる2020年1月にはU-23アジア選手権が行なわれ(日本は3位)、メダル獲得を狙う五輪代表の歩みは大詰めを迎えようとしていた。
だが20年シーズンのJリーグが開幕したばかりの2月下旬、新型コロナウィルスの感染拡大により、J1第2節以降の試合が延期となってしまう。
パンデミックの脅威は世界のあらゆるイベントを中止に追い込み、7月に開催が予定されていた東京五輪の1年延期も決定。先行きが見通せない中、日本代表の強化は中断を余儀なくされることになった。
日本代表は10月上旬にオランダ遠征を行ない、国際親善試合のカメルーン戦で11ヶ月ぶりとなる森保ジャパンの活動を再開した。メンバーは欧州組のみで編成され、カメルーンとは0-0の引き分け。第2戦のコートジボワールには1-0と勝利したものの、試合勘を取り戻すのが精一杯の内容だった。
翌11月にもオーストリア遠征が行なわれ、パナマに1-0と勝利したあとの第2戦でメキシコと対戦する。前半は日本の素早い出足と、ワンタッチパスの多用でゲームを支配。鎌田の組み立てから原口、伊東、鈴木武蔵と立て続けにシュートを放つが、名手オチョアの好セーブに防がれてしまう。
しかし後半開始にメキシコが2人の選手を交代させると、試合の流れは一変。ダブルボランチで中盤の守備を安定させたメキシコに、日本は徐々に主導権を奪われ始める。63分にはヒメネスの意表を突くトゥキックで失点、その5分後にも素早い縦パスから2点目を許す。
すっかりリズムを崩してしまった日本は、反撃らしい反撃も出来ないまま0-2の完敗。中米の雄に地力の違いを見せつけられ、手応えもあったが貴重な教訓を得た一戦となった。
21年3月には延期となっていたW杯アジア第2次予選が再開され、日本は順調に首位突破。2チームがW杯出場権を得る最終予選B組の組み合わせは、オマーン、中国、サウジアラビア、オーストラリア、ベトナムと決まった。
五輪代表の強化も3月のU-24アルゼンチン戦から始まり、6月22日には東京五輪に臨む代表メンバー18名が発表。堂安、冨安、久保のA代表常連組のほか、上田、前田、三笘、田中、相馬、板倉ら期待の戦力が順当に選出。オーバーエイジ枠には吉田、遠藤、酒井宏樹の3名が選ばれた。
7月23日のオリンピック開会式に先立ち、前日から男子サッカー競技が開始。無観客の東京スタジアムで行なわれた初戦は、南アフリカの守備的布陣に手こずるも、久保のゴールで1-0の勝利。第2戦はグループ最大のライバル、メキシコと対戦した。
開始6分、酒井の縦パスから右サイドを抜け出した堂安がクロス。中央に走り込んだ久保がGKオチョアの右を破って先制ゴールを叩き込んだ。さらに直後の8分、ゴール左をえぐった相馬が倒されながら折り返し。FW林大地の空振りでチャンスを逃したかに思えたが、VARで相馬へのファールがあったと判定されPKを獲得。これを堂安が沈め、日本が早い時間で2点をリードする。
このあとメキシコの猛攻を耐える日本だが、終盤の85分にFKを放り込まれて失点。アディショナルタイムの2分にもPエリア前左にFKを与えてしまい、嫌な雰囲気が漂う。だがここからのセットプレーでDFロロニャが頭で合わせたシュートを、GK谷晃生が右手を伸ばしてスーパーセーブ。日本はあわやのピンチを逃れ、2-1の勝利を手にした。
G/L最終節のフランス戦は久保の3試合連続ゴールなどで4-0と圧勝し、全勝のグループ1位でベスト8進出。準々決勝はニュージーランドと対戦。日本は5バックで固める相手に大苦戦し、延長120分を終わって0-0。勝負はPK戦へもつれた。
PK戦では谷がニュージーランドの2人目を止め、3人目のキックもバーを越え失敗。後攻の日本は上田、板倉、中山と全員が成功。最後は4人目の吉田が落ち着いて沈め、日本が準決勝に進んだ。
勝てばメダルが決まる準決勝の相手は強豪スペイン。立ち上がりからスペインにボールを支配されるも、粘り強い守備で前半を無失点に抑えた。後半に入って攻撃の形を作り始めるが、相手クロスに競った吉田のタックルがファールを取られPK。だがVARの介入によりファールは取り消され、この場面は事なきを得た。
膠着状態となった試合終盤、スペインは18歳の司令塔ペドリに代えて、オーバーエイジのアセンシオを投入。ゲームはスコアレスのまま延長に突入し、PK戦もちらつき始めた後半の115分、アセンシオのファーを狙ったシュートで失点。日本は吉田を前線に上げてのパワープレーを試みるも、ゴールを割ることは出来ずに0-1の敗戦。金メダル獲得の望みは絶たれてしまった。
銅メダルを懸けた3位決定戦は、G/Lの再戦となったメキシコとの戦い。連戦の疲れからか日本の動きは重く、開始10分には遠藤が相手のPエリア侵入を止められずPKを献上。22分にもセットプレーから得点を奪われ、2点のビハインドで前半を折り返す。
後半に入っても日本の苦しい時間は続き、58分にまたもセットプレーから失点。絶望的な状況となるが、劣勢からの挽回を図る森保監督は62分に故障明けの三笘を投入する。77分、久保のパスを受けた三笘が鋭い切り返しから深く攻め込んで左足シュート。オチョアを破ってのゴールが決まった。
だが日本の反撃は遅きに失し、幾度か訪れたチャンスを生かせないまま1-3の完敗。68年メキシコシティー・オリンピックに続く、53年ぶりのメダル獲得はならなかった。
21年9月、W杯アジア最終予選が開始。初戦をホームで戦った日本は、出足の速いオマーンに後れを取るなど苦戦。試合は0-0のまま終盤まで進み、引き分けで終えるかと思えた88分、クロスからのシュートを許し失点。格下相手に不覚の黒星スタートとなった。
続く中国戦は圧倒的にボールを支配しながら、得点は大迫の1点のみ。それでも勝点3を得て、第3戦は敵地でサウジアラビアと対戦する。
前半は日本が優位に試合を運ぶも、幾度もの好機を逃し0-0でハーフタイムを折り返す。後半の49分には柴崎がボールを奪われあわやのピンチ、ここはGK権田修一がよく足を伸ばして失点を防いだ。
だがこのあたりから柴崎のボールロストが目立ち始め、70分には吉田へのバックパスが乱れて相手にボールを渡してしまうミス。権田の股を抜く決勝点を決められ、0-1と痛恨の敗戦。序盤戦で日本はいきなり窮地に追い込まれ、森保監督の采配にも疑問の声が上がるようになる。
ホームでの第4戦は、3節を終えて首位に立つオーストラリアと対戦。この試合に進退を懸ける森保監督は、それまでの4-2-3-1から4-3-3にへとシステムを変更。4バックの前にアンカーの遠藤を置き、守田英正とA代表初先発の田中を組ませる3ボランチ体制。出場停止明けの伊東が3トップの右サイドに入った。
3ボランチで全体のバランスが安定した日本は、序盤から積極的に仕掛け、開始9分には南野のパスから田中が代表初ゴール。伊東のスピードはフィジカル頼りのオーストラリアDFを翻弄し、日本が主導権を握り続けた。
しかし後半の68分、右サイドを破られてからの折り返しを守田がスライディングで阻止。一旦PKと判定されたのちFKへ変更となったが、フルスティッチに直接叩き込まれて追いつかれる。
終了時間が迫った86分、吉田のロングパスから浅野琢磨がGKの頭上を狙ったシュート。ポストに当たったボールは詰めてきたDFのオウンゴールを誘発。日本は土壇場で勝ち越し、貴重な勝ち点3を挙げた。
こうして日本はチームを立て直し、右サイドに定着した伊東が6試合で7得点に絡むなど攻撃を牽引。2試合を残してW杯出場圏内となる2位へ浮上する。そして22年3月24日のオーストラリア戦は、引き分けてもW杯出場が決まる大一番となった。
シドニーで行なわれた試合は、一進一退の攻防戦が繰り広げられ前半を0-0。後半は一転して膠着状態が続き、引き分けも見据える展開となる。
両チームに疲れの見えてきた終盤84分、森保監督は切り札の三笘を投入。そして終了時間が近づいた89分、右SBの山根視来が守田とのパス交換から折り返し。素早く反応した三笘が代表初ゴールを決め、日本に待望の得点が生まれた。
さらにアディショナルタイムの94分、左サイドでボールを受けた三笘が一気の加速。吸い付くようなドリブルからDFをかわし、勢いのままに鮮やかなシュート。決定的な2点目を叩き出す。
こうして日本がアウェーの地で2-0の完勝。1試合を残してグループ2位以内を確定させ、7大会連続となるW杯出場を決めた。
序盤は苦しみながらも最後はアジアの強国としての底力を示した日本。いよいよその実力を世界の大舞台で試す機会が、8ヶ月後に迫っていた。