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サッカーの歴史や人物について

銀幕の大いなる恋人 ルドルフ・ヴァレンティノ

 

早逝した伝説の美男スター

1920年代のサイレント映画全盛期に、エキゾチックな美貌で一世を風靡したハリウッドスター、ルドフル・ヴァレンティノ。その臭い立つようなエロチズムは世の女性たちを虜にし、「大いなる恋人」と呼ばれた。

 

だが彼が銀幕で輝いた期間は5年と短く、時代がトーキ映画へと移る前の1926年に31歳の若さで死去。葬儀の日には、遺体が運ばれていくニューヨークの路上に10万人ものファンが集まり、悲しみのあまり卒倒する女性が続出したという。

 

こうして伝説に彩られることになったヴァレンティノだが、実際のその素顔は、まっとうとはほど遠い人生を送ってきた小悪党といったところ。スターの座にたどり着くまでの波瀾万丈な日々を経て、生き急いだかのようにこの世を去って行った。

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ホーンテッドスターの悲劇 ジュディ・ガーランド

 

波乱と苦悩の生涯

少女役で主演したミュージカルの名作『オズの魔法使つかい』で大人気を博し、小柄な身体から発せられるボリューム豊かな歌唱力で一時代を築いたのが、ハリウッド女優で歌手のジュディ・ガーランド

 

だがその華やかなキャリアとは裏腹に、彼女の人生は薬物中毒、不眠症精神疾患、自殺未遂、妊娠中絶、4度の離婚など波乱や苦悩に満ちたもの。たびたび繰り返されるトラブルで「ホーンテッドスター」(取り憑かれたスター)とも呼ばれた。

 

晩年は映画界を離れて、ショウビジネスのステージ歌手として活動。69年に睡眠薬の過剰摂取により47歳の若さで亡くなった。彼女の波瀾万丈の半生は、2019年の伝記映画『ジュディ 虹の彼方に』でも描かれている。

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ロック・ハドソンの遺言

 

ハリウッドを代表する二枚目スター

1985年10月の初旬、ハリウッドを代表する二枚目スターとして知られたロック・ハドソンの訃報が伝えられた。死因はエイズ後天性免疫不全症候群)からの合併症による衰弱死で、まだ59歳という若さだった。

 

ハドソンはエイズに感染していると診断されたのち、その事実が隠しきれずに公表。人気映画スターが同性愛者だった驚きとともに、有名人として最初の犠牲者になったというニュースは世界の耳目を集め、エイズという病名が広く浸透するきっかけとなった。

 

均整のとれた堂々たる体格(193㎝)と甘いマスク、そして包容力あふれるパーソナリティーで人気を博したロック・ハドソン。アクションからロマンチックコメディと幅広い役をこなしてきたが、日本で知られている作品はエリザベス・テイラージェームズ・ディーンと共演した『ジャイアンツ』(56年、ジョージ・スティーブンス監督)くらい。

 

決して大根役者ではなかったものの、「ロマンチックなナイスガイ」のイメージから抜けきれず、あくまでも人柄のスターに終始。そのためか同世代のチャールトン・ヘストンマーロン・ブランドポール・ニューマンジャック・レモンらの名優に比べ、これといった代表作を残すことが出来なかった。

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女優ナタリー・ウッド、謎の死の真相

 

スター女優の突然の訃報

1981年11月下旬、『理由なき反抗』『ウェスト・サイド物語』『草原の輝き』などの名作で知られるスター女優、ナタリー・ウッドの事故死が突然の訃報として世界を駆け巡った。

 

ナタリーは映画『ブレインストーム』(ダグラス・トランブル監督)の撮影中、感謝祭の週末にに出かけたヨットで行方不明となり、翌日、カルフォルニア沖にあるサンタカタリナ島で水死体となって発見されたという。まだ43歳の若さだった。

 

彼女の死はロサンゼルス警察の2週間にわたる調査で事故と発表されたが、その時の状況には不明な点が多く、当初から殺人事件も疑われた。

 

そして2011年には新たな情報により、ロス警察が再捜査を開始。死因は「事故死」から「不審死」へと変更され、18年には元夫で俳優のロバート・ワグナーへ重要参考人としての取り調べ請求が行なわれる。

 

だがワグナーはナタリーの死への関与を全面否定、警察の事情聴取にも頑として応じなかった。そのため事の真相は今もって明らかにされていない。

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眠り目のバッドボーイ ロバート・ミッチャム

 

“スリーピング・アイ” と呼ばれたハリウッドスター

“スリーピング・アイ” と呼ばれる眠たげな目と、がっしりとした体格が印象的なロバート・ミッチャム。クールなタフガイとしてアクション映画で鳴らし、熟年期に入ってからは演技派へ転身。戦後のハリウッドで異彩を放った人気俳優だ。

 

1945年の『G・I・ジョウ』でアカデミー助演賞にノミネートされて注目を浴び、「バッドボーイ」のイメージで売り出して『十字砲火』『帰らざる河』『眼下の敵』などのフィルム・ノワール、西部劇、戦争映画などで活躍。50を過ぎてから出演した『ライアンの娘』『さらば愛しき女よ』といった作品では、風格の演技に男の哀愁を滲ませた。

 

若い頃はすさんだ生活を送り、俳優になってからも孤独癖の強いアウトローとしてふるまった。ハリウッド人種を嫌って華やかなパーティーやセレモニーをことごとく欠席。喧嘩っ早さでたびたびトラブルを起こし、大スターとなってからも「バッドボーイ」の姿勢を貫き続けた。

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官能の女神 リタ・ヘイワース

 

ハリウッドのセックスシンボル

アカデミー賞の7部門にノミネートされ、現在もなお感動作として人気の高い映画『ショーシャンクの空に』(95年、フランク・ダラボン監督)は、スティーヴン・キングの中編『刑務所のリタ・ヘイワース』を原作としたヒューマンドラマだ。

 

リタ・ヘイワース第二次世界大戦中、ベティ・グレイブルと並ぶピンナップ・ガールとして一世を風靡した人気女優。『ショーシャンクの空に』の中では、刑務所で上映される映画『ギルダ』(46年、チャールズ・ヴィダー監督)に登場。彼女のポスターが脱獄のアイテムとして使われるほか、希望のメタファーとなっている。

 

健康的な脚線美と母性あふれる笑顔で男女ともに人気を博したベティに対し、官能的なリタは「サイレン(妖女)」と呼ばれる危険な魅力で戦場の兵士を虜にした。

 

体も顔立ちも大柄で、華やかな上に生まれながらのダンスの名手。マリリン・モンローより前に「ハリウッドのセックスシンボル」と呼ばれる。また男性遍歴も賑やかで、オーソン・ウェルズなど5度の結婚を経験。パキスタン王子アーリー・カーンとの結婚は世間を騒がせた。

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醜い顔のギャングスター、エドワード・G・ロビンソン

 
ギャング映画の人気スター

ハリウッドでギャング映画がさかんに作られるようになったのは、1920年代の後半。27年公開『暗黒街』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督)がその走りとされている。

 

当時、禁酒法の網の目をかいくぐって犯罪組織が急成長。アル・カポネのようなギャングが暗黒街のヒーローとなった。そして29年の大恐慌以降は、銀行強盗として名を馳せたデリンジャーやプリティ・ボーイ・フロイドといった凶悪犯も登場。そんな時代背景の中、派手な銃撃戦とアンチヒーローの美学が描かれるギャング映画が人気を博すようになる。

 

こうしたギャング映画の中でも特に大ヒットを記録したのが、エドワード・G・ロビンソン主演の『犯罪王リコ』(30年、マーヴィン・ルロイ監督)である。二枚目とはほど遠い容姿のエドワードだが、独特の人間味で新たなギャングのイメージをつくりだし、観客の共感を呼ぶキャラクターを生みだした。彼はこの映画一本で人気スターとなったのである。

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