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サッカーの歴史や人物について

2023-12-26から1日間の記事一覧

《サッカー人物伝》 ロイ・キーン(アイルランド)

旺盛な闘争心と圧倒的な存在感で常に全力プレー。チームメイトを厳しく叱咤し勝利を目指すスタイルで、その名を世界に轟かせたアイルランドの「闘将」。マンUの主将としてクラブの黄金期を支えたが、妥協を許さない性格から周囲との摩擦やトラブルも多かった…

《サッカー人物伝》ケビン・キーガン(イングランド)

精力的な動きとスピードを生かした突破力でチャンスを作り、自分より大きな相手に敢然と立ち向かう姿から「マイティ・マウス(偉大なネズミ)」と呼ばれた。リバプールとハンブルガーSVに多くのタイトルをもたらし、その活躍で2年連続のバロンドール賞に輝く…

《サッカー人物伝》レイモン・コパ(フランス)

足元に吸い付くようなボールタッチと計算された組み立てで攻撃をリードしたフランスの司令塔。小柄な体を生かした機敏なフェイントで相手をかわし、ドリブルからのスルーパスでチャンスを創出した。フィールドの戦略家として「ナポレオン」の異名で呼ばれた。

《サッカー人物伝》レオニダス・ダ・シウバ(ブラジル)

バイシクル・キックの名手として知られ、その柔軟性とアクロバチックなプレーで「ゴム男」の異名を持つブラジルの黒人選手。1938年のフランスWカップでは卓越した技術と敏捷性で欧州の観客を魅了、得点王とMVPに輝き「黒いダイヤモンド」と呼ばれた。

《 サッカー人物伝 》 釜本邦茂(日本)

大型で強靱な肉体を誇り、右45度からのシュートは正確無比。高さとジャンプ力を生かしたヘディングも一級品で、欧州でも通用しただろうと言われた日本最強のストライカー。メキシコ五輪では得点王となる7ゴールを叩き出し、銅メダル獲得の立役者となった。

《サッカー人物伝》フランツ・ベッケンバウアー〈後編〉(西ドイツ)

12年の代表歴でAマッチ103試合に出場、14得点を記録し50試合で主将を務めた。3回出場したWカップでは中心選手として優勝、準優勝、3位を経験。2回出場した欧州選手権では優勝と準優勝に貢献し、西ドイツ代表監督としてWカップ優勝も果たした。

《サッカー人物伝》フランツ・ベッケンバウアー〈前編〉(西ドイツ)

DFながら、好機と見るや攻撃に参加。卓越した戦術眼とエレガントなプレーで、リベロのポジションに革命的なスタイルを確立した。B・ミュンヘン、そして西ドイツ代表の「カイザー(皇帝)」としてチームに君臨し、あらゆる栄冠を手にしたサッカー界の巨星。

《サッカー人物伝》パオロ・ロッシ(イタリア)

「パブリート(小柄)」とあだ名される華奢な体つきながら、素早く抜け目ない動きでゴールを陥れたストライカー。一人で局面を打開するタイプではないが、Pエリアでは類い希な嗅覚を働かせ、鋭い反応で得点を量産した。82年W杯では優勝の立役者となった。

58年W杯得点王 ジュスト・フォンティーヌさん死去

W杯得点王で1大会の最多得点記録を持つフランスサッカー界のレジェンド、ジュスト・フォンティーヌさんが死去したことが、1日に仏メディアから伝えられた。享年89歳。フォンティーヌさんは唯一のW杯出場となった58年スウェーデン大会で、2回の・・・

元イタリア代表FW ジャンルカ・ビアリ死去

元イタリア代表FWジャンルカ・ヴィアッリさんが6日に亡くなったことが、セリエAのサンプドリアから発表された。英テレビ局スカイスポーツによると、ヴィアッリさんは膵臓癌を患ってロンドン市内の病院で闘病生活を送っていたという。まだ58歳の若さ・・

サッカー元西ドイツ代表主将、ウーベ・ゼーラー死去

50年~60年代にかけてハンブルガーSVで活躍し、西ドイツ代表としても4度のWカップに出場した名FWのウーベ・ゼーラーさんが、21日にハンブルグ近郊の自宅で亡くなったことが、ドイツサッカー連盟(DFB)などから発表された。享年85歳だった。

イビチャ・オシム氏 死去

元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が、5月1日にオーストリア・グラーツにある自宅で急死したことが、かつて指揮を執ったオーストリア1部のシュトゥルム・グラーツから発表された。死因はまだ不明とのこと、6日に81歳の誕生日を迎える直前の訃報だった。

元コロンビア代表 F・リンコン交通事故により死去

コロンビア代表の攻撃的MFとしてW杯に3度出場、スペインの名門レアル・マドリードでもプレーしたフレディ・リンコンさんが、交通事故により死亡したことが13日に発表された。リンコンさんは11日早朝、故郷のカリ市内にて自動車事故に巻き込まれて・・