サイレントノイズ・スタジアム

サッカーの歴史や人物について

元コロンビア代表 F・リンコン交通事故により死去

※2020年4月16日の記事
交通事故による訃報

コロンビア代表の攻撃的MFとしてW杯に3度出場、スペインの名門レアル・マドリードでもプレーしたフレディ・リンコンさんが、交通事故による頭部の負傷で死亡したことが13日に発表された。

リンコンさんは11日早朝、故郷のカリ市内にて自動車事故に巻き込まれて頭部に致命的な外傷。病院に運ばれ3時間に及ぶ手術を受けたが、懸命な治療の甲斐なく2日後に亡くなった。享年55歳。

カリの当局者によると事故では5人が負傷。リンコンさんを含む4人を乗せたバンと、バス1台が絡んだものだった。13年8月にもスピードの出し過ぎによる自動車事故を起こし、重傷を負ったが、この時は一命を取り留めていた。なお今回の事故では、リンコンさんはハンドルを握っていなかったとのこと。

 
ブエナベンチュラの巨像

リンコン(フレディ・エウゼビオリンコンバレンシア)は1966年8月生まれ、コロンビア西部に位置するカウカ県のブエナベンチュラ出身。国内クラブでプロのキャリアを開始し、93年にはブラジルの名門パルメイラスに移籍した。

サンパイオエジムンドロベルト・カルロスエジウソンエバイール、リバウド錚々たるメンバーを揃えたパルメイラスで、パウリスタ選手権(サンパウロ州選手権)優勝とブラジレイロン(全国選手権)優勝に貢献。185㎝の堂々たる姿から「ブエナベンチュラのエル・コロッソ(巨像)」と呼ばれる。

94年にはW杯南米予選のパフォーマンスが認められ、セリエAパルマへ移籍。外国選手枠3人の制限があったため、すぐにナポリに貸し出され、中盤で28試合7ゴールの成績を残した。

95年8月、スペインの名門レアル・マドリードへ移籍。レアルではコロンビア人選手として初めてチャンピオンズリーグに出場するも、チームに適応出来ず、2シーズンで公式戦21試合出場1ゴールと低迷。96年にはパルメイラスへ出戻りする。

97年に同じサンパウロ州の強豪コリンチャンスへ移籍。2000年にはブラジル開催となった第1回FIFAクラブ選手権(現クラブワールドカップ)に出場。キャプテンとしてチームを引っ張り、同国対決となった決勝でヴァスコ・ダ・ガマPK戦で制して世界一クラブに輝いている。

90年代コロンビア代表の主力

カルロス・バルデラマファウスティーノ・アスプリージャレネ・イギータと個性派選手の揃った90年代コロンビア代表で、攻撃の主力として活躍。90年イタリア大会、94年アメリカ大会、98年フランス大会と3度のW杯に出場した。

中でもイタリア大会のG/L最終節・西ドイツ戦では、敗退の瀬戸際に追い込まれた90分に起死回生の同点弾を決め、同国初の決勝トーナメント進出に貢献。94年W杯の南米予選では、アウェーでのアルゼンチン戦で2得点を挙げ、5-0という歴史的勝利の殊勲者となった。

93年と95年のコパ・アメリカ3位入賞にも貢献。95年大会では6試合3ゴールと活躍した。01年に代表を退き、04年に36歳で現役を引退。12年の代表歴で84試合に出場、17ゴールの記録を残している。

引退後の動向

引退後は指導者の道に進むが、07年に5月に麻薬密売とマネーロンダリングに関与したとしてサンパウロ警察に逮捕。その後釈放されて10年に及ぶ調査を受け、16年に無罪となり処分を取り消された。

12年12月、46歳で現役復帰を宣言。アメリカ・デ・カリ(コロンビア)と契約を交わすも、サン・マルティン(ペルー)との親善試合でプレーしたのみだった。

21年5月には、コロンビアの有料放送「ウィン・スポーツ・チャンネル」とコメンテーター契約。ユーロ2020とコパ・アメリカ2021の解説を担当している。

息子セバスチャン・リンコンは、現在アルゼンチンリーグでプレーするプロサッカー選手である。