※2023年1月8日の記事
元イタリア代表FWジャンルカ・ビアリ(Gianluca Vialli)さんが6日に亡くなったことが、セリエAのサンプドリアから発表された。
英テレビ局スカイスポーツによると、ビアリさんは膵臓癌を患ってロンドン市内の病院で闘病生活を送っていたという。まだ58歳の若さだった。
現役時代はサンプドリアやユベントス、チェルシーでプレー。競り合いに強く、スピードを活かした突破と強烈なシュート力でゴールを量産。80~90年代を代表するストライカーとしてチームに多くのタイトルをもたらした。
引退後は指導者として活動。2021年に行なわれた欧州選手権(ユーロ2020)では優勝したイタリア代表の団長を務めたが、癌治療のために退任していた。
イタリアサッカー協会のクラヴィーナ会長からは「素晴らしい人物を失った深い悲しみに暮れている」との哀悼の辞が寄せられている。
ビアリさんは1964年7月9日、イタリア北部のクレモナに生まれた。14歳の時に入団した地元クレモネーゼのジュニアクラブで頭角を現し、17歳でトップチーム昇格。プロ4年目の83-84シーズンにセリエBで10ゴールを挙げ、将来性を買われてセリエAのサンプドリアへ移籍。
サンプドリアでは同い年のロベルト・マンチーニ(現イタリア代表監督)と2トップを組み、エースストライカーとしてコッパ・イタリア連覇(87-88、88-89シーズン)と欧州カップウィナーズ・カップ優勝(89-90シーズン)に貢献する。
90-91シーズンは19得点を挙げてセリエA得点王に輝き、チームを初のスクデット獲得に導く。翌91-92シーズンにはチャンピオンズカップで準優勝するなど、中堅クラブだったサンプドリアで黄金期を築いた。
イタリア代表には85年11月に行なわれた親善試合、ポーランド戦でアズーリデビュー。88年欧州選手権(西ドイツ開催)のメンバーにも選ばれ、ベスト4入りに貢献する。
90年には自国イタリアで開催された第14回ワールドカップ大会に出場。絶対的エースとして大きな期待を背負ったが、怪我で不調に陥りノーゴール。決勝トーナメントでは先発を外され、新鋭FWのバッジオとスキラッチに主役の座を奪われてしまう。
アズーリでは通算8年で59試合16ゴールの記録を残すも、クラブの活躍に比べ代表では今ひとつ輝きを見せることが出来なかった。
92年には、当時最高の移籍金が動いて名門ユベントスへ移籍。最初の2シーズンは故障の影響で精彩を欠いたが、94-95シーズンに17ゴールを挙げてセリエA優勝に貢献。95-96シーズンはコッパ・イタリアを制し、チャンピオンズリーグでは決勝進出。CL決勝で強敵アヤックスをPK戦で下し、念願のビッグタイトル獲得となった。
96年にはプレミアリーグのチェルシーと契約。FAカップ制覇(96-97シーズン)と欧州カップウィナーズ・カップ優勝(97-98シーズン)に貢献したあと、98年2月には解任となったルート・フリット監督のピンチヒッターとしてプレイング・マネージャーに就任。33歳の青年指揮官として、リーグカップ制覇と欧州カップウィナーズ・カップ優勝を果す。
98-99シーズン終了後には34歳で現役を引退。チェルシーでは5シーズン監督を務め、FAカップ、FAチャリティーシールド、欧州スーパーカップなど5つのタイトルを手にした。
このあとワトフォード(イングランド1部リーグ)の監督を務め、18年には膵臓癌の手術を受けながらも執念の復帰。19年には盟友であるマンチーニ代表監督の要請を受けて、ユーロ2020に臨むイタリアチームの団長に就任する。
そして21年7月に行なわれたユーロ大会での優勝を見届け、同年12月には癌の再発により2度目の手術。以降ロンドンのロイヤルマースデン病院で闘病生活を送り、2023年を迎えたばかりの1月6日、永遠の眠りについた。