「O脚のドリブル王」
若い頃「ドリブラルスキー」とあだ名を付けられたほど、ドリブルを得意とした西ドイツのウィンガーでゲームメーカー。小柄ながらその武器を生かして代表レギュラーを長く務め、90年のWカップ優勝にも貢献し「O脚のドリブル王」と呼ばれたのが、ピエール・リトバルスキー( Pierre Littbarski )だ。
22歳で臨んだスペインWカップでは、キレのあるドリブルから貴重なアシストとゴールを生み出し、決勝進出に大きく貢献。その名を世界に知らしめた。当時強豪チームだった1.FC(エルステー・エフツェー)ケルンでも長く主力として活躍、チームをドイツカップ優勝とUEFAカップ準優勝に導く。
キャリアの晩年には元同僚の奥寺康彦に招かれ、日本のジェフ・ユナイテッド市原でプレー。巧みなドリブルや質の高いFKで観客を魅了するだけでなく、本場ブンデスリーガのプロ精神で選手の意識改革を図り、黎明期にあったJリーグの発展に寄与している。
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