【 サッカー人 】
広い視野と的確な戦術眼を持ち、巧みな配給でゲームを組み立てたエレガントなMF。また自ら飛び出してチャンスを作り、得点に絡むなど幅広い能力を見せた中盤のオールラウンダー。ASローマ時代には、洗練されたプレースタイルで「ローマの鷹」と呼ばれた。
2m近い高さと頑強な巨体を活かしたポストプレーを武器とし、空中戦に絶対的な強さを見せるだけでなく、正確な技術も備えたCF。ゴール前にそびえるターゲットマンとして相手に脅威を与え続けてきた「北の巨人」。98年のW杯では王国ブラジルを撃破した。
「頭でっかち」と呼ばれる小柄のずんぐり体型ながら、ひとたびボールを持てば芸術的な足技で観客を堪能させた。そのプレーで50~60年代にかけてアルゼンチンとイタリアで活躍した左利きのテクニシャン。61年にはバロンドールを受賞、62年W杯にも出場した。
日韓W杯の開幕戦では初出場セネガルが前大会王者フランスを下すという世紀の大金星を演出。ゴールこそなかったが攻撃の先鋒としてチームを牽引し、ベスト8進出の立役者となって世界に名を轟かせた。その一方、粗野な言動で「シリアル・キラー」と呼ばれた。
類い希な得点感覚を持ち、鋭い動きと優れたポジショニングセンスにより多くのゴールを陥れた。アフリカ人の血を受け継ぐ独特な個性で、北欧の異端児として活躍したストライカー。94年W杯では3位入賞に貢献、派手なドレッドヘアーとともに世界に名を馳せた。
「ジェイ ジェイのダンス」 驚異的な身体能力が生み出す変幻自在のプレーで、見る者を魅了したナイジェリアのスタープレーヤー。左右の足から放つ強烈なシュートに加え、得点に結びつくパスセンスにも長けた攻撃のアーティストが、オーガスティン・“ジェイ …
体格に恵まれたディフェンダーながら足元の技術も持ち合わせ、優れたリーダーシップと的確な状況判断でチームを統率。攻撃参加にも非凡な才を見せ「アジア最高のリベロ」と呼ばれた。02年日韓W杯ではキャプテンとしてチームを牽引、ベスト4入りに貢献した。
華麗なボールコントロールとダイナミックなドリブルで好機を演出。ブロンドをなびかせ、巧みにボールを操る華麗なスタイルから「金髪の天使」と呼ばれた80年代のゲームメーカー。80年の欧州選手権で彗星のように現れ、司令塔として西ドイツを優勝に導く。
俊敏な反応で至近距離のシュートを防ぎ、1対1の場面でも絶対的な強さを見せた世界屈指のゴールキーパー。巨体を活かし広い守備範囲でゴールを死守、その偉容から「白い巨人」と呼ばれた。マンUの黄金期を守護神として支え、代表ではユーロ優勝を果たした。
大柄な体格を活かしたポストプレーで前線の起点となり、得意のヘディングと右足から放たれる強烈なシュートでゴールを陥れた。そのパワフルなプレーで「ボスポラスの雄牛」と呼ばれたトルコのストライカー。ガラタサライで長らく活躍、日韓W杯にも出場した。
あざといまでのノールックパスと相手GKの意表を突くループシュートが十八番。ボールと戯れながら信じられないような足技で観客を魅了した。99年のコパ・アメリカで鮮烈な国際デビューを飾り、02年W杯ではブラジル「3R」の一翼として優勝に貢献した。
スピード溢れる動きでDFを混乱させ一瞬の抜け出しから相手ゴールを陥れた。高い技術と創造性を持ち、勤勉な働きで前線のどのポジションからも得点を決めたアイルランドの点取り屋。同国史上最年少の17歳でA代表デビュー、日韓W杯の活躍で注目された。
本職のセンターバックだけではなく、右サイドバックとしてもハイレベル。インテリジェンス、身体能力、技術といった要素を高い次元で兼ね備えた世界最高のディフェンダー。パルマとユベントスで活躍し、代表では98年W杯優勝、ユーロ2000優勝に貢献した。
抜群のスピードを誇り重戦車さながらの強引なドリブル突破も迫力満点。左足から強烈なシュートを放ち、多くのゴールを生み出してきたスイスの点取り屋。ボルシア・ドルトムントのエース・ストライカーとして90年代に活躍。ブンデスリーガ連覇、チャンピオン…
巨体を揺らしながらゴールに迫る姿は迫力満点。得点力だけではなく人を使うセンスにも長けていた。GKアルディアイエとともにアジア勢としては2度目となるワールドカップ・グループリーグ突破の立役者となり、同年のアジア年間最優秀選手賞に選ばれている。
俊足を飛ばし、切れ味鋭いドリブルで敵陣を引き裂いた左ウィング。そのずば抜けたスピードと得点力から「ウクライナの矢」と呼ばれた。75年には、ソ連クラブ初となるUEFAカップウィナーズカップ制覇に大きく貢献。その活躍でバロンドールに選ばれている。
80年代フランスの黄金期を築いた、「魔法陣」による魅惑的な中盤。プラティニの技術とファンタジー、ジレスの配球とインスピレーション、ティガナの運動量と戦術眼で生み出される華麗なパスワークは、「シャンパン・サッカー」と称えられ、数々の名勝負を演…
長身で抜群の反射神経を持ち、果敢な飛び出しで多くのピンチを救った。1920~30年代に活躍した、スペイン史上に残る伝説的なゴールキーパー。白いシャツとハンチング帽子をトレードマークとし、「エル・ディビーニョ(神聖なる男)」の愛称で呼ばれた。
圧倒的なスピードと天性のセンスを持ち、いつの間にか相手ゴール前に現れることから「エル・フィルトラドール(侵入者)」の異名をとった。第1回W杯のメキシコ戦でハットトリックを達成。アルゼンチンは準優勝に終わったものの8得点を挙げて得点王に輝く。
小柄だが多才なテクニックと相手の意表を突くパスで、攻撃の起点となった。対外試合で低迷が続き「冬の時代」と呼ばれた80年代に、日本の10番を背負ったゲームメイカー。フリーキックの名手としても知られ、85年のW杯予選で伝説となるゴールを決めた。
頑丈な身体と敏捷性を備え、パワフルなシュートを武器としたインサイドフォワード。50年代バルセロナに数々の栄光をもたらし、クラブの伝説となったプレイヤー。亡命で入団したバルセロナでは、アグレッシブなプレーとボールテクニックでファンを魅了した。
スキンヘッドで髭面というコワモテだが魔法の右足でエレガントに試合を組み立てた。テクニックに長けたゲームメイカーでありながら疲れを知らないスタミナとファイティング・スピリットで裏方的な役割も受け持った多才なMF。パルマやラツィオで活躍した。
高い身体能力と巧みな足捌き、そして迫力あるボール奪取で中盤を支配。創造性溢れる長短のパスで攻撃のリズムを刻み、守備にも長けたオランダの万能MF。代表での活躍はなかったが、アヤックス、R・マドリード、ACミランと3クラブでCL優勝を経験した。
仁王のような威圧感で相手の前に立ち塞がり、俊敏な反応と優れたセービング技術でゴールを死守した。その強烈な個性と闘争心、強いリーダーシップでチームを牽引したドイツの守護神。主将を務めた日韓W杯では、前評判の高くなかったドイツを準優勝に導いた。
抜群の運動能力と技術、戦術眼を持ち合わせ、最終ラインの壁となった。強靱なフィジカルを生かした守備能力の高さで「ザ・ロック」と呼ばれたフランスのディフェンダー。代表で98年W杯とユーロ2000優勝に貢献。マルセイユとミランではCLを制覇した。
日韓W杯でアルゼンチンに4年前の雪辱を果たしたベッカムだが、マンチェスター・Uではファーガソン監督との関係が悪化。そんな中「スパイク蹴り上げ事件」が起こり、二人の仲は修復不能となる。その後ベッカムはレアル・マドリードに移籍することになった。
中盤右サイドから放たれる精度の高いクロスで多くのチャンスを演出。プレースキックの名手として数々の名場面を生み出し、端正なマスクで世界的人気を誇った。マンチェスター・ユナイテッドの黄金期を主力として支え、レアル・マドリーでも存在感を見せた。
狭いサイドスペースを一瞬で突破し、相手陣内の奥深くまで切り込んでいった攻撃的サイドバック。100mを10秒台で駆け抜けるという疾風怒涛の走力で「風小僧」と呼ばれた。レアル・マドリードの核弾頭として長年にわたり活躍。3度の欧州制覇に貢献した。
連動的な組織戦術とスピード重視の現代サッカーで独特の存在感を見せたクラシックタイプの10番。動きの少ない古風然としたスタイルで“恐竜”と揶揄されながら、一撃必殺のスルーパスと異次元のボールキープ力で魅了した。北京五輪では金メダル獲得に貢献。
さほど大柄ではないが滞空時間の長いヘディングは「ヘリコプター」と呼ばれた。また強烈なゴールへの意欲と得点力、持ち前の闘争心で「ザ・デリブル(恐怖の男)」「イワン(イバン)雷帝」の異名を持つチリのストライカー。シドニー五輪では銅メダルを獲得。