サイレントノイズ・スタジアム

サッカーの歴史や人物について

【 サッカー人 】

《サッカー人物伝》ヌワンコ・カヌー(ナイジェリア)

197㎝80㎏という細身の長身ながら、柔らかいボールタッチと独特のリズムで相手DFを翻弄。トリッキーなプレーで多くのゴールを生み出したナイジェリアのストライカー。金メダルを獲得したアトランタ五輪ではエース兼キャプテンとしてチームを牽引する。

《サッカー人物伝》ジュゼッペ・ベルゴミ(イタリア)

強靱な肉体を持ち空中戦にも強く、守備のポジションならどこでもこなした。ハードマークで鳴らすストッパーとして知られながらスイーパーとしても高い適性を見せ、攻撃の起点にもなった万能型ディフェンダーで「ミスター・インテル」と称されたバンディエラ。

《サッカー人物伝》ドラガン・ジャイッチ(ユーゴスラビア)

ユーゴスラビアが生んだ最高の名手。スピードと技巧に富んだドリブルで左サイドを突破、鋭く曲がるクロスで多くの得点を演出した。ユーゴの名門ツルベナ・ズベズダ(レッドスター)の左ウィングとして活躍、クラブレジェンド「五大星人」の一人に数えられる。

《サッカー人物伝》レネ・イギータ(コロンビア)

ペナルティーエリアを大きく飛び出し高いDFラインの背後をカバー。時にはドリブルで敵陣深くに攻め上がり攻撃参加も見せた規格外のキーパー。フィールドプレイヤーを兼ね備えたスタイルはスイーパーGKの先駆的存在。FKやPKも得意とし41得点を記録。

《サッカー人物伝》パオロ・マルディーニ(イタリア)

イタリア伝統の攻撃型左サイドバックとして活躍。長身で身体能力にも優れ、安定した守備力でセンターバックも努めた。親子二代でACミランのキャプテンとなり、サッカー界のサラブレッドと呼ばれた。しかしWカップとユーロではタイトルに恵まれなかった。

《サッカー人物伝 》フランティシェク・プラーニチカ(チェコスロバキア)

プラーニチカは1930年代に活躍したチェコスロバキアの名GK。スペインのリカルド・サモラ、オーストリアのルディ・ヒディーンと並び、当時世界最高の名手とされた。準優勝を果たした34年のWカップではFWのネイエドリーとともに、チームを牽引した。

《サッカー人物伝》ヨハン・ニースケンス(オランダ)

強い筋力とバネを持ち、優れた運動神経でアクロバティックなプレーも難なくこなした。守備から攻撃までを担うオールラウンダーとして、「トータルフットボール」を支える。豊富な運動量でクライフをサポート。同じ名を持つことから「ヨハン2世」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》ロベルト・リベリーノ(ブラジル)

左足の強く正確なキックと鋭いフェイントでチャンスを演出し、多くの得点も挙げた。特にフリーキックからの強烈なシュートは相手GKの脅威となり「左足の魔術師」と呼ばれる。分厚い口髭が特徴。足に吸い付くようなフェイント、「エラシコ」を得意技とした。

《サッカー人物伝》カール=ハインツ・ルンメニゲ(西ドイツ)

強靱なフィジカルと豊かなスピードを持ち合わせ、ダイナミックな突破から相手ゴールを陥れた。ブンデスリーガでは3度得点王を獲得、その活躍でバイエルンに多くのタイトルをもたらす。2年連続でバロンドール賞に輝き「ミスター・ヨーロッパ」と称えられた。

《サッカー人物伝》ジョアン・アヴェランジェ(ブラジル)

24年間にわたりFIFA会長の座に君臨、サッカー界で大きな影響力を持ち続けた男。水泳のオリンピック代表選手としてキャリアを開始、W杯初優勝に手腕を発揮。優れたビジネス感覚と政治手腕で頭角を現し、非ヨーロッパ系として初のFIFA会長となった。

《サッカー人物伝》アルバロ・レコバ(ウルグアイ)

スピードに乗った高速ドリブルと、左足から放たれる強烈なキックでその名を轟かせた。絶好調時には予測不能なプレーを連発し「左足の独奏者」と呼ばれた。東洋人のように見える風貌から「エル・チーノ(中国人)」の愛称を持つ、ウルグアイのファンタジスタ。

《サッカー人物伝》ラウル・ゴンザレス(スペイン)

左脚のテクニックと豊かなイマジネーションを持ち、多彩な攻撃能力で多くのファンを魅了した。早くからその将来を嘱望され、「スペインの至宝」と呼ばれた男。キャリアを始めたR・マドリードでは、当時クラブ史上最年少となる17歳でデビューを飾っている。

《サッカー人物伝》ジネディーヌ・ジダン ー後編ー(フランス)

レアル「銀河系軍団」の一員となったジダンは、初のチャンピオンズリーグ優勝タイトルを獲得。選手の絶頂期を迎えるが、日韓W杯は屈辱の結果に終わってしまう。一時代表を退くも、ドイツWで復帰。決勝まで勝ち上がるが、頭突きによる退場処分で終幕となった。

《サッカー人物伝》ジネディーヌ・ジダン ー前編ー(フランス)

強靭なフィジカルと抜群のテクニック、高い戦術眼にシュート力も兼ね備え、現代サッカーで必要とされるあらゆる要素を最高レベルで体現したゲームメーカー。“マルセイユ・ルーレット" が代名詞、多くの共通点から「プラティニの後継者」「新将軍」と呼ばれた…

《サッカー人物伝》アレッサンドロ・デル・ピエロ(イタリア)

高いスキルと創造性あふれるプレーでピッチにアートを描き出した「ファンタジスタ」の継承者。ビアンコ・ネロの10番を背負い、ユベントスの黄金期を支えた。得意の「デル・ピエロ・ゾーン」からのゴールは彼の代名詞となり、芸術的なFKも観客を魅了した。

《サッカー人物伝》パトリック・エムボマ(カメルーン)

しなやかな身のこなしから、的確にゴールを捕らえる動きはまさに黒豹。抜群の身体能力と強いフィジカル、そしてテクニックの高さを備え、異次元のプレーで得点を量産したカメルーンのFW。Wカップには2度出場、シドニー五輪では金メダル獲得の立役者となる。

《サッカー人物伝》ルイス・フィーゴ(ポルトガル)

サイドラインを直線的に切り裂く破壊力と、キレ味鋭い切り返しでDFを置き去りにしたドリブラー。創造性とキックの精度、得点能力の高さも持ち合わせ、ポルトガル史上最高の選手の一人と言われた。バルサからレアルへの禁断の移籍は、世間を大いに騒がせた。

《サッカー人物伝》ロナウド(ブラジル)

スピード、テクニック、身体能力、得点感覚と、FWに必要な資質を高い次元で兼ね備えた驚異のストライカー。爆発的な突破とやすやすとゴールを陥れる力で「フェノメノ」と呼ばれた。2度W杯優勝を経験、FIFA最優秀選手とバロンドール賞に何度も輝いている。

《サッカー人物伝》ラモス瑠偉(日本)

20歳の時に来日し、ブラジルスタイルで一時代を築いた読売クラブの象徴的存在となった。89年に帰化を果たし、90年には33歳で日本代表入り。オフト・ジャパンの司令塔としてW杯出場を目指すが、カタールで行われた最終予選で「ドーハの悲劇」に沈んだ。

《サッカー人物伝》ブラジルから来たサムライ(日本)

「冬の時代の伝道師」 ネルソン吉村、セルジオ越後、与那城ジョージ 日本サッカーが「冬の時代」と呼ばれた長い低迷期(1970~80年代)を過ごした時代、国内サッカーリーグ(JSL)に大きな足跡を記したのが、ブラジルから来た日系人選手だった。 ヤンマーデ…

《サッカー人物伝》エドガー・ダーヴィッツ(オランダ)

無尽蔵のスタミナでピッチを駆け回り、攻守に活躍したディフェンシブハーフ。小柄ながら頑丈な身体とフィジカルの強さを持ち、相手に食らいつくような激しいプレースタイルから「闘犬」と呼ばれた。活躍したアヤックスやユベントスではチームを支える心臓と…

《サッカー人物伝》ガリー・リネカー(イングランド)

鋭い得点感覚と俊敏な反応で、いち早くゴール前に飛び込んで得点を生み出したストライカー。86年のWカップでは6得点を記録して大会得点王に輝きバルセロナでもエースとして活躍した。晩年は名古屋グランパスでプレーするも、すでに往年の輝きはなかった。

《サッカー人物伝》ローター・マテウス(ドイツ)

小柄な身体だが確かな技術と豊富な運動量を兼ね備え、旺盛なファイティングスピリットでチームを統率したドイツの猛将。20年の長きにわたって代表で活躍、主将としてW杯優勝を果たした。同国最多記録となる150キャップを誇り「ドイツの鉄人」と呼ばれた。

《サッカー人物伝》ジャン=ピエール・パパン(フランス)

決して大柄ではないが、鋭いダッシュと抜群のジャンプ力を生かしたヘディングでゴールを量産。その右足から放たれる正確かつ強烈なシュートで「高性能爆撃機」の異名を持つFW。91年にはバロンドール賞に輝き、フランス史上最高のストライカーと呼ばれている。

《サッカー人物伝》エミリオ・ブトラゲーニョ(スペイン)

小柄ながら鋭い得点感覚と素早い動きで、相手ゴールを陥れたスペインのストライカー。大空を舞うようピッチを悠然と駆け抜け、一瞬で獲物を捕らえる俊敏さと抜け目のなさで「ハゲワシ」の異名をとった。86年のWカップでは、1試合4得点の快挙を達成した。

《サッカー人物伝 》クラウディオ・ジェンティーレ(イタリア)

持ち前のハードタックルと鋭い読みで相手エースの動きを封じ、空中戦にも強さを見せたイタリアのCB。時にファールも厭わないタフなマンマークで「殺し屋」の異名をとり、そのしつこさ、冷酷さで恐れられた。W杯でマラドーナやジーコと熱い戦いを繰り広げた。

ブラジルサッカーの功労者、マリオ・ザガロさん死去

選手として、あるいは監督や技術顧問として4度のW杯優勝に関わったマリオ・ザガロさんが、6日にリオ・デ・ジャネイロ市内の病院で亡くなったことが本人のインスタグラムから公表された。ザガロさんは数年前から体調を崩しており、昨年の9月には尿路・・・

《サッカー人物伝》ヨハン・クライフ ー後編ー(オランダ)

Wカップ優勝は逃したものの、アヤックスやバルセロナで数多くのタイトルを手にし、そのキャリアは栄光に包まれたものになった。引退後は指導者としても成功、「ドリームチーム」を作り上げてバルセロナの黄金時代を築き、世界の潮流に大きな影響を及ぼした。

《サッカー人物伝》ヨハン・クライフ ー 前編 ー(オランダ)

「トータルフットボール」の戦術を展開したアヤックスとオランダの中心を担い、その後のサッカー界に大きな影響を残したレジェンド。スピーディーなドリブルで相手DFを翻弄、マークを一瞬でかわす独特のフェイントは「クライフターン」と呼ばれ代名詞となる。

《サッカー人物伝》マルセロ・サラス(チリ)

小柄でズングリとした体型だが動きは素早く、強いシュートと高いジャンプのヘディングを持ち味としたストライカー。チリ代表ではイバン・サモラノと「Za-Sa(ササ)コンビ」を組んでゴールを量産。Wカップ南米予選では二人だけで23点を叩き出している。