【 サッカー史 】
1930年、南米ウルグアイで第1回目のワールドカップが開催。欧州4ヶ国、南米6ヶ国、北中米2ヶ国の計13ヶ国で争われた大会は、開催国ウルグアイが決勝で隣国のアルゼンチンを破って初代王者に輝いた。第1回大会の得点王は、アルゼンチンのスタービレ。
18年7月26日、W杯ロシア大会で日本代表を率いた西野朗の後任として、森保一の代表監督就任が発表された。独善的な指導でチームが空中分解しかけたハリルホジッチ時代の反省を踏まえ、それまでの外国人監督路線を一旦封印。選手との対話を重視する・・・
2017年12月1日、FIFAワールドカップ・ロシア大会の組み合わせ抽選会が行なわれ、グループHに入った日本の対戦相手はコロンビア、セネガル、ポーランドと決まる。コロンビアは前回のブラジル大会でも対戦し、屈辱の敗戦を喫した因縁の相手だった。
W杯の惨敗後、日本はアギーレ監督を招聘。しかしさしたる成績を残すこともなく、短期間で日本を去って行った。後任としてハリルホジッチが新監督に就任。だがその強権的で一方的な指導に選手は反発、結束力を欠いたチームは迷走し、ついに監督更迭の事態とな…
Wカップ初戦、本田のゴールで先制する日本だが、ドログバの途中出場で逆転負けを喫してしまう。第2戦は有効的な策が打てずにギリシャとスコアレスドロー、第3戦のコロンビア戦は、新星ハメス・ロドリゲスに翻弄されて惨敗する。過信が生んだ予選敗退だった。
ロンドン五輪チームは期待以上の活躍を見せ、3大会ぶりのベスト8に進出。だが惜しくも4位に終わり、メキシコ大会以来のメダル獲得とはならなかった。順調にW杯出場を決めたザックジャパンも、強化試合で強豪国に善戦するなど、本大会に向けての期待が高まる。
アルベルト・ザッケローニが日本代表監督に就任。年明けのアジアカップ・カタール大会では、幾多の激戦を乗り越えて決勝に進出する。そして最後は李忠成の劇的ボレー弾で、2大会ぶりの栄冠を手にした。ロンドン五輪世代も始動、5大会連続出場への予選に臨む。
Wカップ本番を控え、岡田監督は調子の上がらない中村俊輔を外して本田圭佑をエースに抜擢した。そしてその本田のゴールで初戦のカメルーン戦を勝利、第3戦も本田と遠藤のFKでデンマークを打ち破り、2大会ぶりの決勝Tに進んだ。この後中村俊は代表を引退。
ドイツW杯惨敗のあと、オシムジャパンが発足。だがアジアカップで大会連続優勝を逃すなど、すぐに結果は残せなかった。しかし任期途中にオシムが倒れ、そのあとを岡田武史が引き継ぐことになる。4回目のW杯出場を決めるも、依然日本の調子は上向かなかった。
最強布陣でドイツW杯に臨んだジーコジャパンだったが、初戦のオーストラリア戦で逆転負け、第2戦のクロアチア戦も引き分けと、早くも追い込まれていった。僅かな望みを懸けて臨んだブラジル戦で先制、だが圧倒的な力量差で惨敗し、期待を裏切る結果に終わる。
アテネ五輪への出場を果たした日本だが、世界の壁に跳ね返されて1次リーグ敗退となってしまう。ジーコ率いるA代表も苦戦が続き、チームは空中分解の危機を迎えるが、「アブダビの夜」と呼ばれるミーティングで結束を取り戻し、北朝鮮戦の勝利でW杯出場を決め…
トルシエのあとジーコが代表の新監督に就任。ジーコは選手の自主性を重んじたブラジル流の指導を行うが、それが却ってチームに戸惑いをもたらし、海外組と国内組の不協和音も聞こえた。それでもアジアカップ中国では日本は死闘を乗り越え、大会連覇を達成す…
Wカップ日韓大会が開幕。初戦は鈴木隆行と稲本潤一のゴールでベルギーと引き分けるが、トルシエの「フラット3」には綻びが見えていた。守備陣はその弱点を自主的に修正、次のロシア戦は歴史的初勝利を挙げる。日本は無事ベスト16に進むも、そこには厚い壁が。
アジアカップ・レバノン大会優勝、コンフェデレーションズカップ準優勝と、着実に結果を残してゆく日本代表。トルシエのエキセントリックな指導法は各方面で軋轢を生むが、それが結果的に選手やチームに緊張感を与えることになる。そしてついに本番の日が近…
自国開催のWカップ大会に向け、フィリップ・トルシエ監督を招聘。”フラット3”の戦術を掲げたトルシエは、小野、高原、稲本らの「黄金世代」を指導、ワールドユース準優勝という快挙を達成する。シドニー五輪もベスト8に勝ち上がるが、その采配には疑問符が。
初のWカップへの戦いに向けて、日本代表の模索は続いた。最後のメンバー発表で三浦知良がまさかの落選、チームや国民に衝撃を与える。98年6月、日本代表はWカップの舞台に初登場するも、強豪アルゼンチン戦での敗北など、世界の厚い壁に跳ね返されてしまう。
日本はW杯予選のグループ最終戦でカザフスタンに圧勝。B組の2位となり、ジョホールバルでのアジア第三代表決定戦に臨んだ。対戦相手は強力攻撃陣を誇るイラン。両チーム死力を尽くした激戦は2-2で延長に突入、そこへ野人・岡野がついにVゴールで決着をつけ…
日本は正念場の韓国戦で逆転負け。中央アジアでの戦いでも流れを変えられず、ついに加茂監督は電撃解任となった。急遽臨時指揮官に就任した岡田武史はチームの修正を図るが、なおも日本代表の苦闘は続く。だが敵地の韓国戦で起死回生の勝利、日本にW杯への道…
ファルカンの後任として、加茂周が代表監督に就任。「ゾーンプレス」の新戦術を掲げて代表の強化に取り組むが、アジアカップで無策を露呈するなどその手腕が疑われた。そして中田英寿らの新戦力を加えた日本代表はW杯最終予選に臨み、苦闘の道のりを歩むこと…
W杯出場を逃した日本は、ロベルト・ファルカンを新監督に招聘。だが芳しい成果を残せず、1年足らずで日本を去って行った。この頃日本には、小倉、前園、城、川口、中田英らの新世代が台頭。28年ぶりに出場したアトランタ五輪では「マイアミの奇跡」を演じる。
イラン戦の敗北で追い込まれた日本だが北朝鮮戦と韓国戦の連勝で息を吹き返し、W杯初出場を懸けた最終戦を迎える。そして運命のイラク戦、三浦知良と中山雅史のゴールで2-1とリーし、ついに日本は王手を掛ける。だがその先にはロスタイムの悲劇が待っていた。
W杯アジア最終予選を控え、左SBの都並敏史が負傷。代役探しに奔走するオフトジャパンだが、攻守のキーマン都並の穴を埋められるような選手はついに見つからなかった。そして運命の最終予選がドーハで始まり、イラン戦で完敗した日本は追い込まれてしまう。
ようやくプロ化を果たした日本サッカー。代表監督に就任したハンス・オフトは、W杯初出場を目指してチームの改革に着手する。そしてラモス瑠偉の反発などを乗り越え、オフトジャパンは成長。そして92年のアジアカップ広島大会では初優勝の快挙を達成する。
「冬の時代」と呼ばれる長い低迷期に突入した日本代表。アジアの厚い壁に阻まれ、W杯どころか五輪出場からも遠ざかり、エース釜本邦茂は代表を引退。期待の奥寺康彦もドイツに旅立っていった。だがW杯予選の韓国戦で木村和司のFKが炸裂、夢へ一歩近づいたか…
代表強化に行き詰まった日本蹴球協会は、西ドイツからクラマーをコーチとして招聘。来日したクラマーは情熱と信念を持って指導にあたり、日本サッカー界に変革をもたらした。そして日本はメキシコ五輪で銅メダル獲得の快挙を達成。釜本邦茂が大会得点王に輝…
終戦後、日本サッカーは国際舞台に復帰。FIFAへの再加入を許されW杯スイス大会の予選に参加することとなる。だがその日本の前に立ちはだかったのが、反日政策をとる李承晩政権の韓国。敵対心丸出しで挑んでくる隣国のライバルに日本は苦戦を強いられる。
日本サッカー代表の黎明期と、FIFA加盟からベルリン五輪参加決定に至るまでの物語運命のベルリン五輪スウェーデン戦では、世界の強豪に圧倒され、前半を0-2とリードされる日本、だが後半に反撃。「ベルリンの奇跡」と呼ばれた逆転劇は、世界を驚かせた。
Wカップで世界一となったなでしこジャパンは、翌年のロンドン五輪の決勝で再びアメリカとまみえ、惜しくも銀メダルに終わる。15年Wカップの決勝も三たびアメリカと戦うが、研究されて惨敗を喫してしまった。このあと澤が現役を引退、なでしこの一時代が終わ…
東日本大震災の試練を乗り越え、日本は女子ワールドカップ・ドイツ大会に出場。決勝トーナメントの1回戦では、丸山の殊勲弾で開催国ドイツを撃破、なでしこは決勝へ進んだ。決勝はアメリカにリードされるも、澤が起死回生の同点弾、PK戦を制して栄冠を手にす…
アテネ五輪出場を決めた日本女子代表に「なでしこ」の愛称がつけられた。その後も国際大会の経験を重ね、なでしこは徐々にその実力を伸ばしていく。ドイツWカップの出場を控え、佐々木監督のもと順調に強化が進むなでしこジャパン、そこへ最大の試練が訪れる…